歴史の余白

内外の埋もれた歴史を再発見するブログ

〆イエメン―忘れられた近代史

イエメン―忘れられた近代史(10)

後記 サレハ政権崩壊後に勃発したイエメン新内戦はまだ歴史でなく、現在進行中の事象であるので、後記として言及するにとどめざるを得ない。こたびの内戦は南北間の内戦ではなく、サレハ政権を継いだハーディ政権とザイド派武装勢力フーシ派との間のものであ…

イエメン―忘れられた近代史(9)

「アラブの春」から内戦へ 1994年の南北内戦に勝利し、統一イエメンの支配者としての地位を確実にしたサレハ大統領は、1999年大統領選挙で三選を果たした。事前の工作により、この選挙での候補者はサレハ一人だけの出来レースであった。 調子づいた…

イエメン―忘れられた近代史(8)

[E:seven] 統一後の混乱 想定以上にスムーズに実現したイエメン統一であったが、それは滑り出しからつまずく。まずは、統一プロセス渦中で発生した湾岸戦争で、サレハ政権がクウェートを侵攻・占領したイラクを支持するという誤った選択をしたことである。 …

イエメン―忘れられた近代史(7)

[E:six] イエメン統一まで 南北イエメンは、ほぼ同一・同種民族間のイデオロギー的分断国家という点では、同じ冷戦期に現出した東西ドイツや南北朝鮮と類似していたが、それらに比べれば、ともに社会主義的志向性を持つ両イエメンのイデオロギー対立の溝はさ…

イエメン―忘れられた近代史(6)

[E:five] 南北イエメンの歩み〈2〉 南北イエメンでは、1978年に同時発生したそれぞれの政変を経て、新体制が発足する。北ではサレハ独裁政権、南ではイエメン社会主義者党(YSP)独裁政権である。 北で新政権を樹立したサレハは一兵士として北イエメン…

イエメン―忘れられた近代史(5)

[E:four] 南北イエメンの歩み〈1〉 南北イエメンは、ともに1970年に転機を迎えた。この年、北イエメンでは62年共和革命以来の王党派との内戦が正式に終結し、改めて共和国として再出発した。一方、南イエメンでは前年の英国からの独立を経て、民族解…

イエメン―忘れられた近代史(4)

[E:three] 南イエメンの独立 南イエメンは、北イエメン独立後も長く英国保護領の地位にあり、実質上植民地であった。56年のスエズ動乱で英国がスエズ運河権益を喪失すると、南イエメンの中心港湾都市アデンは石油精製の拠点として重視されるようになる。 …

イエメン―忘れられた近代史(3)

[E:two] 共和革命から内戦へ イエメン王国のアラブ連合共和国への加盟は、軍部を中心にナセルに傾倒するアラブ民族主義者を勢いづかせ、前近代的な王制打倒への動きに弾みをつけた。その点で、アラブ連合共和国加盟はザイド派王朝にとって自らの命脈を縮める…

イエメン―忘れられた近代史(2)

[E:one] 北イエメンの独立 イエメンの近代史は、他の多くの中東諸国と同様、オスマン・トルコの支配を抜け出した時点に始まる。イエメンの場合は、1918年である。時のザイド派イマーム、ヤフヤ・ムハンマド・ハミド・エッディンはすでに13年のオスマン…

イエメン―忘れられた近代史(1)

序説 目下中東ではイラクとシリアのほか、アラビア半島南端のイエメンでも政府軍と反政府武装力の内戦に隣国サウジアラビアを主力とする周辺国―その背後には米欧がある―とイランが干渉する同様の構図が展開されている。 しかし、イエメンの状況はイラクとシ…