歴史の余白

内外の埋もれた歴史を再発見するブログ

〆イラクとシリア―混迷の近代史

イラクとシリア―混迷の近代史(18)

[E:seven] シリア内戦 [E:night]内戦の膠着 シリアにおける「春」は2011年の初頭から静かに始まった。シリアには先行した「ダマスカスの春」の余波が残されており、バッシャール・アサド政権も民主化を一定は受け入れ、野党とも対話する姿勢を示していた…

イラクとシリア―混迷の近代史(17)

[E:seven] シリア内戦 [E:night]ダマスカスの短い春 シリアでは2000年にアサド大統領が急死し、近代シリア最長30年に及んだ長期政権が終焉した。しかし事前の入念な世襲工作が功を奏し、次男のバッシャール・アサドへの権力継承が円滑に行なわれた。こ…

イラクとシリア―混迷の近代史(16)

[E:six] イラク戦争と「内戦」 [E:night]「内戦」の時代へ 第二次イラク戦争終結後は、米英主導の有志国暫定当局がイラクの統治に当たることとなったが、その法的根拠は薄弱で、イラク国民からすればまさに「占領当局」であった。米英ではかつての連合国によ…

イラクとシリア―混迷の近代史(15)

[E:six] イラク戦争と「内戦」 [E:night]第二次イラク戦争 第一次イラク戦争(湾岸戦争)から第二次イラク戦争までには、12年のタイムラグがある。この間はフセイン政権の延命期と言えた。フセイン政権は、圧倒的な力の不均衡の中で行われた第一次戦争では…

イラクとシリア―混迷の近代史(14)

[E:six] イラク戦争と「内戦」 [E:night]第一次イラク戦争(湾岸戦争) 対イラン戦争に「勝利」したフセイン政権は、戦争の傷跡も癒えない中、今度は隣国クウェートへの侵攻・併合というあまりに古典的な侵略行動に出た。クウェートはイラン‐イラク戦争では…

イラクとシリア―混迷の近代史(13)

[E:five] バース党の支配 [E:night]サダム・フセイン独裁体制 イラクのバース党体制では、1979年に一つの転機が生じた。この年、68年のバース党クーデター以来大統領の座にあったバクルが退任し、副大統領サダム・フセインが後継に就いたのだ。この政…

イラクとシリア―混迷の近代史(12)

[E:five] バース党の支配 [E:night]アサド家独裁体制の確立 シリアとイラクのバース党の分裂が確定した1970年代以降、20世紀末までの両国は、ハーフィズ・アサドとサダム・フセインという互いに反目し合いながらも、共通の残酷さと巧妙さにかけては2…

イラクとシリア―混迷の近代史(11)

[E:five] バース党の支配 [E:night]イラク・バース党の支配 “本家”シリア・バース党に対し、後発のイラク・バース党は1963年のクーデターでアーリフ政権の実質的な基盤となるが、間もなく非バース党員のアーリフによる弾圧・排除により、しばらく閉塞せ…

イラクとシリア―混迷の近代史(10)

[E:five] バース党の支配 [E:night]シリア・バース党の支配 バース党“本家”のシリア・バース党が政治の前面に出てきたのは、1963年のクーデター時であった。その後、今日に至るまでの長いバース党支配の契機となったことから、クーデターの日付にちなん…

イラクとシリア―混迷の近代史(9)

[E:five] バース党の支配 [E:night]バース党の台頭 1960年代以降のイラクとシリアでは、バース党という独自の政党が政権党として台頭してくる点で、イデオロギー的には共通の基盤を持つようになる。「アラブ社会主義復興党」を公式名称とするバース党は…

イラクとシリア―混迷の近代史(8)

[E:four] アラブ連合の時代 [E:night]イラク共和革命とその後 1958年にエジプトとシリアが統合されてアラブ連合共和国が成立した時、イラクはまだハーシム家の王政下にあった。アラブ連合の攻勢に危機感を抱いたイラクは対抗上、同じハーシム家が支配す…

イラクとシリア―混迷の近代史(7)

[E:four] アラブ連合の時代 [E:night]アラブ連合の成立 イラクとシリアが独立後の混乱に揺れる中、エジプトでは52年の共和革命で成立した社会主義体制がナセル大統領のカリスマ的指導の下、大規模な社会改革に着手していた。スエズ危機を乗り切った彼は汎…

イラクとシリア―混迷の近代史(6)

[E:three] 独立と混乱 [E:night]独立シリア共和国 フランスの委任統治領とされていたシリアの独立は、難航した。独立交渉自体は1934年に始まったが、フランスは自国の国益を優先し、限定的な「独立」にとどめようと画策していた。これに対し、シリア側で…

イラクとシリア―混迷の近代史(5)

スンナ[E:three] 独立と混乱 [E:night]独立イラク王国 英国がハーシム家のファイサル(1世)を擁立して1921年に樹立したイラク王国は英国の保護国としてその間接支配下に置かれたが、30年に更新された新たな英国‐イラク条約で独立が取り決められ、3…

イラクとシリア―混迷の近代史(4)

[E:two] クルド人問題 イラクとシリアの近代史を考える上で見落とせないのは、クルド人問題である。クルド人は、イラク・シリア近代史の影の主役である。元来、クルド人は非アラブ系(イラン系)のイスラーム勢力として、中世には十字軍戦争の英雄であるサラ…

イラクとシリア―混迷の近代史(3)

[E:one] 英仏分割統治 英仏は旧オスマン領土のシリア・イラク方面について、戦時中のサイクス・ピコ協定で分割統治を取り決めていたとはいえ、これはなお暫定的な秘密協定にすぎず、その具体化は第一次世界大戦終結後の1920年にイタリアのサンレモで開催…

イラクとシリア―混迷の近代史(2)

[E:zero] オスマン帝国崩壊 イラクとシリアはイスラーム化以前はもちろん、以後も各々固有の歴史を持つが、オスマン帝国の全盛期であった16世紀から17世紀にかけて相次いでオスマン領土に編入されたことで、形式上は一つの「国」となった(地方行政区分…

イラクとシリア―混迷の近代史(1)

序説 21世紀の幕開けとなった9・11事件以後、開始された「テロとの戦い」が「「イスラーム国」との戦い」に拡大しようとしている現在、主戦場はアフガニスタンというイスラーム世界ではどちらかと言えば辺境の地からイラクとシリアというイスラームの本…