歴史の余白

内外の埋もれた歴史を再発見するブログ

〆天皇の誕生―日本古代史異論

天皇の誕生・目次

本連載は終了致しました。下記目次各ページ(移転元ブログへリンク)より個別記事をご覧いただけます。 プロローグ p1 第一章 三人の「神冠天皇」 p2 p3 (1)二人の「初代天皇」(2)崇神天皇と応神天皇(3)応神天皇と八幡神(4)応神天皇と神功…

天皇の誕生(連載最終回)

エピローグ 本連載では「国、皆王を称し、世世統を伝う」(『後漢書』倭国伝)という分国状況の中、朝鮮半島の加耶にルーツを持つ勢力が九州を経由して畿内に建てた一地域王権が、やがて百済系渡来人勢力に簒奪された後、曲折を経て全国的王朝に発展し、天皇…

天皇の誕生(連載第51回)

第十一章 持統女帝の役割 (6)「天皇」の制度的確立 立太子の制度化 昆支朝では5世紀後葉の開朝以来、大王位継承をめぐる抗争が絶えず、6世紀末にはそうした抗争を巧みに利用した臣下の蘇我氏に王権を簒奪され、蘇我朝に取って代わられた。その蘇我朝か…

天皇の誕生(連載第50回)

第十一章 持統女帝の役割 (5)最初のフェミニスト 持統フェミニズム 7世紀代の女性を「フェミニスト」と呼ぶことはいささか時代錯誤的であり、躊躇も覚えるが、持統の思想の根底には女性性を協調・讃美するある種のフェミニズムがあったと思われるのであ…

天皇の誕生(連載第49回)

第十一章 持統女帝の役割 (4)複雑な歴史観 天智・天武崇拝 『書紀』は持統天皇が自ら執筆に関わったものでないことは明らかだが、その基本線には持統自身の歴史観がまさに影のごとく投影されていると考えられる。 その「持統史観」の核を成すのは、天智・…

天皇の誕生(連載第48回)

第十一章 持統女帝の役割 (3)歴史‐神話の創造 天皇中心の国史 持統天皇が夫・天武天皇から継承し、仕上げを試みた重要な事業に国史の編纂がある。天武はすでに治世10年の節目に当たり、帝紀及び上古の諸事の記録の校定を命じ、天智天皇の子・川島皇子を…

天皇の誕生(連載第47回)

第十一章 持統女帝の役割 持統天皇は、一般的に夫・天武天皇の遺志を継いで律令制を完成させた“中継ぎ”の天皇と脇役的にとらえられているが、彼女の果たした役割はその程度のことにとどまるものであったか。 (1)生い立ち 「乙巳の変」の申し子 正史上の第…

天皇の誕生(連載第46回)

第十章 天智天皇と天武天皇 (4)天武天皇の実像 兄の同志 天智天皇の同母弟で、後に第40代天武天皇となる大海人皇子―逆に天武を天智の兄とする説もかねてより存在するが、ここでは立ち入らない―の動向が『書紀』で最初に確認されるのは、孝徳政権末期、…

天皇の誕生(連載第45回)

第十章 天智天皇と天武天皇 (3)後期天智政権 甲子の宣 筑紫遷都失敗の後、天智天皇らが筑紫をいつどのように撤収したのかが『書紀』の記述では今一つはっきりしない。ただ、天智は663年9月に百済から救援軍を撤退させた後、翌664年2月9日には「…

天皇の誕生(連載第44回)

第十章 天智天皇と天武天皇 (2)前期天智政権 虚構の「斉明天皇」 正史は、孝徳天皇死去の後、孝徳の姉で中大兄の生母でもある宝皇女が「第37代斉明天皇」として即位したとする。この人は正史上、すでに乙巳の変の前に夫・舒明天皇の死を受けて「皇極天…

天皇の誕生(連載第43回)

第十章 天智天皇と天武天皇 後昆支朝初期を代表する天智・天武の兄弟天皇。しかし乙巳の変でも活躍した実力者・中大兄(天智)が668年まで天皇に即位しなかったとする正史は真実であろうか。また壬申の乱の勝者となる天智天皇の実弟・天武天皇は『万葉集…

天皇の誕生(連載第43回)

第十章 天智天皇と天武天皇 後昆支朝初期を代表する天智・天武の兄弟天皇。しかし乙巳の変でも活躍した実力者・中大兄(天智)が668年まで天皇に即位しなかったとする正史は真実であろうか。また壬申の乱の勝者となる天智天皇の実弟・天武天皇は『万葉集…

天皇の誕生(連載第42回)

第九章 乙巳の変と「後昆支朝」 (4)改新的復古 孝徳政権の成立 乙巳の変によって軽皇子が王位に就いて開始した新政権の施策は正史・通説上、「大化の改新」と呼ばれ、律令国家の建設へ向けた最初の一歩として高く位置づけられてきた。 しかし、乙巳の変の…

天皇の誕生(連載第41回)

第九章 乙巳の変と「後昆支朝」 (2)真の政変首謀者 中臣鎌子と軽皇子 内では戒厳体制の閉塞、外では百済のくびきがのしかかる中、入鹿大王体制は早くも行き詰まりを見せていた。こうした中で、小さな謀議の芽が生じた。その中心にいたのが、平安朝で栄華…

天皇の誕生(連載第40回)

第九章 乙巳の変と「後昆支朝」 正史・通説上は、“逆臣”蘇我氏を打倒した「大化の改新」の名で上代における明治維新級の革新として称賛されてきた政変は、果たして真に「改新」の名に値するような革命だったのであろうか。 (1)政変までの経緯 戒厳体制 6…

天皇の誕生(連載第39回)

第八章 蘇我朝の五十年 (5)王位継承抗争と蘇我入鹿 後継問題の発端 蘇我馬子大王の期待の星・善徳太子=聖徳太子は621年、父王より先に世を去ってしまう。これで馬子の目算は大きく狂うことになり、やがて後継問題をめぐる深刻な内紛の発端ともなった。…

天皇の誕生(連載第38回)

第八章 「蘇我朝」の五十年 (4)聖徳太子の実像 聖徳太子架空説 蘇我馬子と言えば正史上必ずコンビで語られるのが、有名な聖徳太子である。『書紀』によると、聖徳太子は用明天皇の皇子で、推古天皇の甥に当たり、かつ女婿でもあることから、推古の皇太子…

天皇の誕生(連載第37回)

第八章 「蘇我朝」の五十年 (3)蘇我革命体制 蘇我馬子の即位 蘇我馬子は崇峻大王を傀儡として擁立した時点で、事実上の大王に就いたも同然であった。とりわけ法興寺のような大規模宗教施設の創建は古代国家においては王の権力を象徴する事業であったから…

天皇の誕生(連載第36回)

第八章 「蘇我朝」の五十年 (2)昆支朝の斜陽化 文人大王・敏達 欽明=獲加多支鹵大王は40年に及ぶ長期治世の後、571年に死去した。後継者は渟中倉太珠敷皇子[ぬなくらのふとたましきのみこ]で、正史上の第30代敏達天皇である(当時、天皇号はま…

天皇の誕生(連載第35回)

第八章 「蘇我朝」の五十年 6世紀末から7世紀前半までの畿内王権で独裁者となる蘇我氏とはどのような氏族であったのか。また、正史上「蘇我氏の専横」と呼ばれる時代、蘇我氏はあくまでも臣下として独裁したのか、それとも自ら王位簒奪者となったのか。 (…

天皇の誕生(連載第34回)

第七章ノ二 「昆支朝」の継承と発展・(続) (6)二つの任那問題 幻想の「任那経営」 『書紀』の継体紀と欽明紀では、任那(加耶)をめぐる外交・軍事問題(任那問題)がことさらに重視されており、その関係記事の分量が内政関係記事を上回っている。 とり…

天皇の誕生(連載第33回)

第七章ノ二 「昆支朝」の継承と発展・(続) (5)行政=経済改革 中央行政機構 昆支大王、男弟大王時代の畿内王権は旧加耶系王権時代以来の地域王権の性格を脱しておらず、中央行政機構も未整備であったが、重臣の合議制は昆支の専制支配を緩和した男弟大…

天皇の誕生(連載第32回)

第七章ノ二 「昆支朝」の継承と発展・(続) (4)列島征服事業 倭の広開土王・欽明 欽明天皇の和風諡号「天国排開広庭」(あめくにおしはらきひろにわ)とは「天下を押し開き、領土を広げた」との趣旨で、これはまさに倭の広開土王そのものである。 ただ高…

天皇の誕生(連載第31回)

第七章 「昆支朝」の継承と発展 (3)辛亥の変と獲加多支鹵大王(続き) 欽明=獲加多支鹵大王 前回まで見てきたように、正史上継体天皇=男弟大王の没年や陵墓もあいまいにされているのは、おそらく『書紀』の作為ではなく、まさに欽明自身が二人の異母兄…

天皇の誕生(連載第30回)

第七章 「昆支朝」の継承と発展 (3)辛亥の変と獲加多支鹵大王 男弟大王の死 男弟大王の治世期間は約30年に及んだ父・昆支大王のそれに及ばなかったが、やはり20年かそれ以上の長期にわたった。ただ、男弟大王の死」はそれ自体が二つの大きな論争点の…

天皇の誕生(連載第29回)

第七章 「昆支朝」の継承と発展 (2)出雲平定と磐井戦争 イトモ征服と石上神宮 第四章で見たように、出雲西部では本来の「出雲」である杵築大社(後の出雲大社)を拠点とする植民都市イトモの伊都勢力が5世紀後半には繁栄期を迎え、母体である九州糸島半…

天皇の誕生(連載第28回)

第七章 「昆支朝」の発展と継承 (1)男弟大王への継承(続き) 「継体」の分身像 本章の冒頭で指摘したように、『書紀』が応神天皇の後継者としている「仁徳天皇」については架空説が根強いが、では「仁徳」は一からでっち上げの架空人物かと言うと必ずし…

天皇の誕生(連載第27回)

第七章 「昆支朝」の継承と発展『記紀』では、「昆支朝」の成立を完全に秘匿したうえ、開祖・昆支大王から三代の大王の分身像を多数設定して架空の天皇系譜を作出している。しかし、およそ90年にわたった「昆支朝」三代の時代こそ、畿内王権が全土的「朝廷…

天皇の誕生(連載第26回)

第六章 「昆支朝」の成立 (5)昆支大王の宗教改革 崇神紀の祭祀記事 昆支大王の事績の中でも永続性を保った最大級のものが、宗教改革であった。それを抽出する手がかりは崇神紀に埋め込まれている崇神6年から7年にかけての祭祀記事である。この記事はな…

天皇の誕生(連載第25回)

第六章 「昆支朝」の成立 (4)昆支大王と倭の自立化 領域拡大 やや皮肉なことであるが、百済王子であった昆支が倭王に就いてまず着手したのは、475年の王都陥落以来、亡国の危機にあった百済から倭を自立化させ、内発的に発展させることであった。そこ…