歴史の余白

内外の埋もれた歴史を再発見するブログ

〆抵抗の東北史

抵抗の東北史(連載最終回)

十三 近代東北の忍耐 明治維新後の東北は、江戸幕藩体制から解放され、形の上では大日本帝国の近代的中央集権体制の中に組み込まれていき、もはや抵抗の地ではなくなった。 幕藩体制時代の東北諸藩は、当時の農業技術では十分な生産力が確保できない寒冷地で…

抵抗の東北史(連載第13回)

十二 東北最後の抵抗 江戸全盛期の東北は、他の地方と同様、幕藩体制の中で平穏が保たれ、もはや大きな抵抗の地ではなくなった。しかし、天明、天保と二つの大飢饉では多数の犠牲を出し、百姓一揆の頻度は高かった。 特に南部氏の盛岡藩は冷害が多い上に、最…

抵抗の東北史(連載第12回)

十一 近世東北の収斂 豊臣秀吉の死後、関ヶ原の戦いを経て、江戸時代に入ると、改めて幕府主導での東北再編が行なわれる。まず豊臣政権では冷遇され、減移封処分を受けて押さえ込まれていた伊達氏(政宗)は、関ヶ原の戦いでは東軍に付き、徳川家康の評価を…

抵抗の東北史(連載第11回)

十 戦国時代の東北 南北朝統一後の室町幕府は東北支配を鎌倉府に委ねたが、鎌倉府が次第に自立化していく中で、東北支配も幕府と鎌倉府とに分裂し、東北支配は混乱していた。その結果、東北地方では早くから有力武将が半自立的に割拠する結果となり、他地域…

抵抗の東北史(連載第10回)

九 中世東北の再編 蝦夷代官職として鎌倉時代に台頭し、津軽を拠点に土着した安藤氏は幕府滅亡後も南北朝動乱期を生き延びていくが、この頃から本来の拠点にある津軽にとどまった家系(下国家)と、日本海側秋田に移住した家系(上国家)とに分岐する。 この…

抵抗の東北史(連載第9回)

八 中世東北の抵抗 奥州藤原氏が源氏によって滅ぼされ、東北も鎌倉幕府の支配下に入ると、この地方にも源氏配下の東国武士が地頭職に任ぜられて赴任してきた。特に幕府の実権が執権北条氏に掌握されてからは、北条氏所領が増加し、北条氏被官から有力者が現…

抵抗の東北史(連載第8回)

七 新東北人の形成と抵抗(下) 奥州安倍氏の没落後、その支配を継承して東北随一の豪族となったのは出羽清原氏であった。清原氏は安倍氏のように徒に朝廷に反抗的となることは避け、むしろ朝廷に従いつつ、源氏のような武士団としての成長を目論んだ。 特に…

抵抗の東北史(連載第7回)

六 新東北人の形成と抵抗(上) 9世紀後半期の俘囚反乱が収束すると、一世紀以上、東北地方では平穏が保たれる。この間、平安朝による民族浄化政策の結果として入植和人と俘囚エミシの通婚・混血が進み、新しい東北人が形成されていった。こうした「新東北…

抵抗の東北史(連載第6回)

五 民族浄化と俘囚の反乱 坂上田村麻呂が率いた平安朝によるエミシ掃討作戦が終了し、障害要因が除去されると、朝廷は東北入植政策を本格化させる。それは、強制移住と同化という二つの手段を通じて行われた。 強制移住は和人の代替的入植と引き換えに、エミ…

抵抗の東北史(連載第5回)

四 征服と抵抗(下) 多賀城築城の後、しばらくは朝廷軍とエミシ勢力の大規模な衝突は記録されていないが、朝廷による入植政策とそれに対するエミシの抵抗戦はなお断続的に続いていたものと見られる。 そうした中、780年に転機となる大規模なエミシの蜂起…

抵抗の東北史(連載第4回)

三 征服と抵抗(上) 百済滅亡後の畿内朝廷は、新羅と同盟していた敵方の唐の制度にならった律令制国家の建設に邁進していく。それが飛鳥時代最末期の大宝律令の制定で一段落すると、中断していた東北遠征が再開される。8世紀初頭、日本海側に出羽柵が設置…

抵抗の東北史(連載第3回)

二 共存の時代 古墳時代後期頃に成立した南部の和人古墳勢力と北部のエミシ勢力は、おおむね衣川(北上川水系)を境界線として共存均衡していたものと考えられるが、両者の交渉関係については史料が乏しく、詳細は不明である。 一方、7世紀までに関東を支配…

抵抗の東北史(連載第2回)

一 先史東北の形成 東北地方の先史時代に関しては、主に宮城県を舞台とした在野の考古学研究家による旧石器遺跡捏造が2000年に発覚して以来、それまで当該研究家の「功績」に帰せられてきた前・中期旧石器時代の存在が白紙に戻ることとなった。この事件…

抵抗の東北史(連載第1回)

前言 2011年3月の東日本大震災で最も甚大な被害を蒙ったのが、東北地方であった。その際に被災民たちが示した不屈の忍耐強さは世界で日本人の精神性として賞賛されたが、この賛辞は実のところ、あまり正確とは言えなかった。震災の時に示されたのは、「…