歴史の余白

内外の埋もれた歴史を再発見するブログ

〆関東代官伊奈氏列伝

関東代官伊奈氏列伝(連載最終回)

八 伊奈忠尊(1764年‐1794年)/忠善(1773年‐1807年) 伊奈忠尊〔ただたか〕は、子沢山な備中松山藩主板倉勝澄の十一男として生まれ、先代関東代官伊奈忠敬の婿養子となった。三河に発祥した板倉氏は足利氏流を称する古くからの徳川譜代で…

関東代官伊奈氏列伝(連載第8回)

七 伊奈忠敬(1736年‐1778年) 伊奈忠敬〔ただひろ〕は、大和郡山藩主柳沢吉里の六男として誕生したが、嫡子のない伊奈氏先代忠宥の養子となって後を継いだ。ここで、関東代官伊奈氏は初めて他家からの養子世襲となり、新たな歴史が始まる。 なぜ柳…

関東代官伊奈氏列伝(連載第7回)

六 伊奈忠辰(1705年‐1767年)/忠宥(1729年‐1772年) 伊奈忠辰〔ただとき〕は、関東代官先々代の忠順の実子であったが、遅く生まれたらしく、先に養子となっていた義兄の忠逵が後を継ぎ、忠逵が引退した後を受けて、寛延三年(1750年…

関東代官伊奈氏列伝(連載第6回)

五 伊奈忠逵(1690年‐1756年) 先代伊奈忠順は、なかなか嫡男が生まれなかったらしく、初めは伊奈氏宗家側の武蔵小室旗本領主・伊奈貞長の子・忠逵〔ただみち〕を養子とした。ところが、晩年に実子の忠辰〔ただとき〕が誕生したため、忠順死去に際し…

関東代官伊奈氏列伝(連載第5回)

四 伊奈忠篤(1669年‐1697年)/忠順(?‐1712年) 伊奈忠篤・忠順〔ただのぶ〕兄弟は先代忠常の息子たちであり、父の没後、相次いで関東代官を世襲した。同時に忠篤の代からは、金森氏の領地だった飛騨高山藩が廃され、天領化されたことに伴い…

関東代官伊奈氏列伝(連載第4回)

三 伊奈忠克(1617年‐1665年)/忠常(1649年‐1680年) 伊奈忠克は、先代忠治の嫡男として関東代官職を継承した。前回も見たとおり、関東代官伊奈氏は父忠治の代で確立され、「関東郡代」を私称するまでに強勢化していた。忠克はそうした伊…

関東代官伊奈氏列伝(連載第3回)

二 伊奈忠治(1592年‐1653年) 伊奈忠治は関東代官初代忠次の次男として生まれたが、元和四年(1618年)の兄忠政の死後、小室藩主家を継いだ幼少の甥忠勝と分離する形で代官職を継ぎ、父兄の土木事業を継承した。忠治最大の事績は利根川付替え事…

関東代官伊奈氏列伝(連載第2回)

一 伊奈忠次(1550年‐1610年)/忠政(1585年‐1618年)/忠勝(1611年‐1619年) 伊奈忠次は、関東代官伊奈氏の初代に当たる人物である。彼は伊奈氏が信州から三河に移住して四世代目に相当するが、父忠家は嫡男ではなく、本宗家筋で…

関東代官伊奈氏列伝(連載第1回)

序 筆者が育ったさしたる名所旧跡もない街の隣接市に通称赤山城址がある。おそらくここが筆者の街から最寄の城址と思われる。城址といっても、正確には旗本陣屋であり、天守を持つような派手な城ではない。 広大な跡地は現在では私有地や公園となり、往時を…