歴史の余白

内外の埋もれた歴史を再発見するブログ

もう一つの中国史

もう一つの中国史(連載第14回)

五 遊牧民族の時代Ⅰ (2)北魏の覇権 鮮卑慕容部に続いて勢力を伸張させてきたのは、同じ鮮卑系部族の拓跋部である。拓跋部は内モンゴルのフフホトを根拠地とする部族集団であったが、4世紀初頭に西晋を助けて匈奴系の前趙と交戦した功績で華北に領土を安…

もう一つの中国史(連載第13回)

五 遊牧民族の時代Ⅰ (1)遊牧諸民族と五胡十六国 中国史において北方及び西方の遊牧諸民族の果たした役割は、極めて大きなものがある。大きく俯瞰して、三国時代に続く五胡十六国時代以降モンゴル帝国版図に中原が組み込まれた元の時代までのおよそ千年間…

もう一つの中国史(連載第12回)

四 西方諸民族の固有史 (3)チベット系諸民族の興隆 西域の手前には、古くからチベット系諸民族が展開していた。中国語とチベット語は言語学上包括してシナ・チベット語族を形成することからも、漢民族とチベット民族は言語学的に共通祖語を持つ可能性もあ…

もう一つの中国史(連載第11回)

四 西方諸民族の固有史 (2)オアシス都市国家群の盛衰 月氏が西域で優勢だった頃、より西のタリム盆地オアシスにも、著名な楼蘭(クロライナ)をはじめとする小さなオアシス都市国家群が成立していた。これらの諸国家の起源や民族・言語系統はいまだ解明さ…

もう一つの中国史(連載第10回)

四 西方諸民族の固有史 (1)月氏の展開と移動 中国の西方は、今日では新疆に包摂されるいわゆる西域を中心として、そこに接続する甘粛省やチベット地域、チベットの延長部分とも言える青海省なども含む広大な地方である。 そのうち、ひとまずチベットにつ…

もう一つの中国史(連載第9回)

三 北中国の混成 (3)匈奴の解体と諸族割拠 冒頓単于の台頭以降60年にわたり、前漢は毎年多額の財物を贈って匈奴による領土不可侵を保証される羽目となり、この間の両国関係は河南オルドスまで南下占領していた匈奴側優位と言ってよかった。匈奴はまた、…

もう一つの中国史(連載第8回)

三 北中国の混成 (2)騎馬遊牧勢力の台頭 北方・東北の遼河文明が衰退した後、後に漢民族として統一されていく黄河文明人が北方にも拡散していったと見られるが、さらなる北方から対抗勢力として立ち現れたのが、遊牧勢力であった。この勢力については、半…

もう一つの中国史(連載第7回)

三 北中国の混成 (1)北方文化の起源 今日の中国は、周知のとおり、北方の北京を首都としており、北に心臓部を持つことで確定しているが、北方は本来、漢民族の拠点ではなかった。先史時代の北方文化としては、20世紀初頭に日本人考古学者・鳥居龍蔵によ…

もう一つの中国史(連載第6回)

二 西南中国の固有性 (2)「秦滅巴蜀」から「屠蜀」まで 漢民族系では最西端に発祥し、次第に強勢化した秦は南の楚の征服を当面の目標に定めていたが、その際、長江沿いに並ぶ穀倉地帯である巴蜀の征服は楚への水路を確保し、攻略を優位に進めるうえで得策…

もう一つの中国史(連載第5回)

二 西南中国の固有性 (1)四川文明と巴蜀 今日、中国西南部の主要な省として四川省が存在するが、1980年代になり、同省広漢市の三星堆遺跡で、前2000年かそれ以前にも遡る高度文化圏の存在が明らかになった。 四川盆地は長江の上流に当たるため、…

もう一つの中国史(連載第4回)

一 南中国の独自性 (3)楚の盛衰 南方系諸国の中から後に戦国七雄にまでのし上がる楚の主体民族は不詳であり、発祥地からすると、中原にも近く、漢民族系と見る余地もある。ただ自ら蛮夷とみなしていたことや、貝貨や墓制に漢民族系のものと明白に異なる特…

もう一つの中国史(連載第3回)

一 南中国の独自性 (2)越の短い覇権 中原で周王朝が覇権を確立した頃、中国南部の長江文明圏はいったん衰亡したように見えるが、長江文明人が完全に消滅したとは考えにくい。周の東遷(事実上の滅亡)後、春秋時代に入ると、今日の河南省から湖北省、湖南…

もう一つの中国史(連載第2回)

一 南中国の独自性 (1)基層‐長江文明 現代中国は広大な単一国家の形態を採り、民族構成上は南北ともに大多数を漢民族が占めるとされているが、実際のところ、首都北京を中心とした北中国と上海を中心とした南中国とでは言語的に大きく異なる。今日ではそ…

もう一つの中国史(連載第1回)

序 地政学上古くから中国史への関心が強い日本では中国史を扱う書籍・情報は通史・個別史を含め、無数に存在するが、その多くは中国人=漢民族を中心に描かれている。これは、中国の支配民族が漢民族であることからして無理もないことではあるが、中国史の読…