歴史の余白

内外の埋もれた歴史を再発見するブログ

クルド人の軌跡(連載第1回)

一 クルド人の形成

謎に包まれた発祥
 クルド人は、国家を持たない世界最大民族集団(総人口約3000万人)とも呼ばれるが、それは近現代において、ごく短期間を除き、独自の国民国家を形成することがないまま、トルコ、シリア、イラク、イランを中心とした各国境域に分散して居住する状況が継続しているためである。
 クルドに関わる名称が最初に史料的に出現するのは、紀元前3000年頃のシュメール碑文に見える「カルダカ」がそれである。カルダカ人はトルコ東部のヴァン湖東方の山岳地帯に居住していた民族であった。
 ちなみに、現在イラク領内のクルド系の代表的な都市キルクークには、紀元前2000年代に短命に終わったグティウム王国の首都が置かれていたことがあり、同王国を担ったグティ人とクルド人の関連性も注目される。
 グティ人はザクロス山脈方面から出現した山岳民族で、かなり粗暴であったことから、シュメール人らは「山の竜」と呼んで恐れた。ただ、かれらの言語グティ語は固有の文字史料を欠き、系統不明の絶滅言語となっており、クルド語との系譜関係も不明のままである。
 グティ人には、勇猛な山岳民族であった点でクルド人との共通点は認められる。もし、グティ人がクルド系とすれば、グティウムは歴史上最初にクルド人が形成した国家ということになるかもしれない。しかし、グティウムは最盛期にバビロニアを広域支配する勢いを見せるも持続せず、100年余りでシュメール人に滅ぼされた。
 その後、紀元前1000年以降になると、ヴァン湖南部地域はカルドゥチと呼ばれるようになる。ヴァン湖周辺には紀元前9世紀から同6世紀にかけてウラルトゥという強国が存在していたが、カルドゥチは200年ほどウラルトゥに帰属していたとするアルメニア史料もある。
 紀元前5~4世紀のギリシャ人歴史家クセノフォンの著作に現れる「カルドコイ」は、カルドゥチの人々を指しているので、この地が一貫してクルド人の集住域となっていたことがわかる。クセノフォンによると、カルドコイはペルシャと敵対関係にあり、重装の軍は持たないが、長弓や投石器の使い手であることを記している。
 このように、クルド人は古代世界に勇猛な山岳民族としての足跡をぼんやりと残しているが、自身で記録した文字史料を残さなかったため、その民族的発祥や古代文明世界での具体的な活動状況などは、何らかの新史料が発見されない限り、謎のままに残されていると言わざるを得ない。