歴史の余白

内外の埋もれた歴史を再発見するブログ

ユダヤ人の誕生(連載第4回)

Ⅰ ユダヤ民族の原郷 

(3)聖書カナン人と原カナン人
 前回、ユダヤ民族は「カルデアのウル」から約束の地カナンへ移住してきたのではなく、初めからカナンに居住していたと述べた。この考えによれば、ユダヤ民族にとってカナンは神から約束された異郷ではなく、まさに原郷であって、かれらこそは真の「カナン人」であったことになる。
 この点、旧約上のカナン人ユダヤ民族によってやがてカナンの地から追われる七つの民族の一つであり、ユダヤ民族とは別の民族として描かれている。こうした言わば「聖書カナン人」とは区別して、ユダヤ民族もそこに包含される「原カナン人」というものを想定することができる。
 このような「原カナン人」はまだそこからユダヤ民族や後に地中海を支配する海商民族として台頭するフェニキア人などが分岐する以前の未分化集団であって、より北方を拠点としたアムル人などとも近縁であったと見られる。
 かれらの生活形態は、旧約のアブラハムらの生活描写にあるとおり、おそらく半遊牧的な羊牧畜民で、ラク遊牧民ではなかった。中東におけるラクダの家畜化は後期青銅器時代とされるから、旧約でアブラハムの息子イサクがアラム人の花嫁リベカを迎えるくだりでラクダが登場するのは時代先取りの錯誤的叙述と見られている。
 原カナン人は言語も共有していたと見られ、ヘブライ語を代表格とし、現在は消滅したフェニキア語も含むセム語派のカナン諸語という言語学的カテゴリーにその痕跡が見られる。このカナン諸語はまたアラム語などともにセム語派の北西セム語に大分類され得ることからして、カナン人とアムル人も言語的に共有する点があったと考えられるのである。
 こうした原カナン人の政治的・宗教的な集大成は紀元前16世紀から同13世紀にかけて全盛期を迎えた都市国家ウガリットに見ることができる。ここで発見された粘土板文書(ウガリット文書)には叙事詩形式の神話が記録されており、これは旧約のヘブライ文学とも共通点を持つ原カナン神話につながる原典とも言えるものであった。
 これに対し、旧約上の聖書カナン人は、ユダヤ民族が一旦はエジプトへ移住し、そこからモーセに率いられて「出エジプト」して再びカナンに戻ってきた後にその地に居住していたアモリ人(アムル人)をも含む七つの民族の一つであったが、このことは原カナン人からユダヤ民族などが分岐した後のカナンには多様な民族が混在するようになっていたことを示すものであろう。