歴史の余白

内外の埋もれた歴史を再発見するブログ

シリーズ:失われた権門勢家(第2回)

二 アレクサンドロス大王家(紀元前336年‐同309年)
 
 
(1)出自
 ギリシャマケドニア王国の第7代国王アレクサンドロス3世(大王)を始祖とする帝室。アレクサンドロス大王が出自したアルゲアス朝は、伝説上の英雄ヘラクレスを始祖とするヘラクレス裔(ヘラクレイダイ)を自称した古い王家で、紀元前8世紀半ば頃から、マケドニアの支配者となった。ギリシャの他地域とは異なり、都市国家を形成せず、専制王政を確立した。

(2)事績

 アレクサンドロスが歴代マケドニア国王と決定的に異なったのは、東方遠征に生涯を捧げたことである。その契機となったのは、父王フィリポス2世のペルシャ征服作戦の継承にあった。彼は父王が果たせなかったペルシャ征服を達成し、その勢いで中央アジアからインドにまで侵攻、世界史上初めてヨーロッパとアジアをつなぐユーラシア帝国を築いた。その意味で、ユーラシアという超大陸的な地理学的/地政学的観念はアレクサンドロスに始まると言える。

(3)断絶経緯

 アレクサンドロスが33歳にして早世したことが、帝国崩壊の直接的契機となった。死因は病死説と暗殺説があるが、病死説の場合、感染症の可能性が高い。ともあれ、大王の後継者は、知的障碍のある異母弟フィリポス3世と大王死後に生まれた嬰児のアレクサンドロス4世であったから、当然にも摂政体制が敷かれた。しかし、安定せず、大王配下の将軍たちによる継承戦争(ディアドコイ戦争)が勃発、フィリポス3世、アレクサンドロス4世とも、相次いで暗殺され、大王家は断絶した。

(4)伝/称後裔氏族等

 マケドニア王室は一夫多妻制であり、アレクサンドロス大王も国際結婚による一夫多妻であったが、海外遠征に忙殺された彼は、あまり子を多く残していない。記録されている限り、バクトリア豪族の娘ロクサネとの間の嫡子アレクサンドロス4世と、フリジア出身の側室バルシネとの間の庶子ヘラクレスだけである。しかし、いずれもディアドコイ戦争の渦中、年少未婚で子を持たないまま相次いで殺害されたため、伝/称後裔氏族も存在しない。