歴史の余白

内外の埋もれた歴史を再発見するブログ

シリーズ:失われた権門勢家(第3回)

三 ユリウス・カエサル

 

(1)出自
 ローマ帝国の礎を築いた将軍にして独裁官ガイウス・ユリウス・カエサルに始まる家系。ただし、彼が出自したユリウス氏族は、元来イタリア中部のアルバを発祥地とする古いローマ貴族(パトリキ)であるが、カエサルの台頭以前、ローマ政治ではマイナーな存在であった。

 

(2)事績
 ほぼカエサル一代で大きく台頭した家系であり、その事績もカエサルその人の軍功と政治家しての業績がほぼすべてである。その内容はとうてい小さなコラムでは記述し切れないが、将軍としては、ガリア戦争でゲルマニアの地を征服し、ローマ版図を大きく北へ拡張したこと、政治家としては民衆派の指導者として三頭政治を経て独裁官に就任し、共和政から帝政への橋渡しをしたこと、特に初代皇帝アウグストゥスとなる親族のオクタウィアヌスを養子として育成したことである。

 

(3)断絶経緯
 紀元前44年のカエサル暗殺後、プトレマイオス朝エジプト女王クレオパトラ7世との間の息子カエサリオンは母との共同統治を経て、母の自殺後、単独でエジプト王プトレマイオス15世として即位するも、エジプト支配を狙う兄オクタウィアヌスの命により、紀元前30年、17歳で処刑されたため、カエサルの男系は断絶した。最初の妻との間の娘ユリアは三頭政治の同輩ポンペイウスに嫁いだが、女児を出産後、母子ともに死亡したため、女系も断絶した。

 

(4)伝/称後裔氏族等
 カエサルは好色家をもって知られ、クレオパトラ女王をはじめ、生前多くの愛人を持ったが、カエサリオンを除けば、庶子として記録されている者はいないため、庶流家系も残されなかった。
 ただし、姪の子である養子オクタウィアヌスが初代皇帝アウグストゥスとして即位、以後、アウグストゥス外戚サビニ族系氏族クラウディウスの名を合わせたユリウス‐クラウディウス朝がローマ帝国最初の帝室となり、カエサルが果たせなかった野望を実現し、帝国の基礎固めをした。
 ユリウス‐クラウディウス朝はアウグストゥスを介して遠縁ながらカエサル家の後裔家系に当たり、歴代皇帝は公式名にカエサルの名を冠したが、いずれの皇帝も養子を含む遠縁継承のうえ、紀元68年、5代目の暴君ネロの自殺を最後に、皇統から外れた。