歴史の余白

内外の埋もれた歴史を再発見するブログ

シチリアとマルタ―言語の交差点(連載第8回)

七 イスラーム支配とマルタの言語交替

 マルタも、9世紀以降、シチリアと並行してイスラーム勢力の侵攻を受け、その支配下に置かれるが、ここでは11世紀前半になって、改めてイスラーム系シチリア首長国からの集団入植の波が生じた。
 この再入植の正確な時期も原因はよくわかっていないが、何はともあれ、この集団入植はマルタの言語状況を根本から変えたと見られている。すなわち、入植者たちがマルタに持ち込んだシチリアアラビア語がそれ以前の言語(おそらくはビザンティン・ギリシャ語)を押しのけ、全島的な共通語となったのである。
 この言語交替は恒久性を持ち、現代マルタ語もその基底はシチリアアラビア語であり、マルタを欧州地域で唯一、アラビア語を含む阿亜語族系言語を公用語とするユニークな国にしている。
 実際、マルタ語にあっては、語彙全体の三分の一はアラビア語起源であり、中でも代名詞・前置詞・接続詞・関係詞・助動詞など、文を文法的に成り立たせる機能語や抽象的概念を表す単語がアラビア語起源であることは、シチリアアラビア語がいかに深層構造的に定着したかを物語っている。
 こうした言語の上書きとも言える変容が生じたのは、マルタに入植したシチリアイスラーム教徒がいかに多かったか、そしてキリスト教勢力によってイスラーム勢力が駆逐された後も、言語政策的にアラビア語が排除されず、日常語としてそのまま保存されたことを示している。
 その点、言わば「本家」のシチリアアラビア語が、シチリアにおけるキリスト教回復後、語彙に若干の痕跡を残しながらも、ロマンス語系のシチリア語に上書きされ、絶滅していったこととは対照的である。
 こうして「本家」が絶滅すると、それまではシチリアアラビア語のマルタ方言であったものが「本家」から切り離されて、単立のマルタ語となった。そして、島内でさらに地域的な方言分化を生じていった。
 現代マルタ語は標準マルタ語を含め六つの方言群に分かれているが、後の歴史の進行過程でイタリア語や英語の影響を被った標準マルタ語に比べ、その他の方言はプロト・マルタ語としてのアラビア語起源の特徴を濃厚に残していると言われる。