歴史の余白

内外の埋もれた歴史を再発見するブログ

アフガニスタン形成史(連載第1回)

零 ヘルマンド文明圏―第五の古代都市文明?

 
 多国籍軍の撤退に伴う政権崩壊とイスラーム復古勢力ターリバーンの全土制圧、大量難民化という急展開により、非常に不幸な形で再び世界の耳目を集めてしまったアフガニスタン━。
 アフガニスタンは山岳地帯が大部分を占める国土に多数の民族が入り組む複雑なモザイク国家であるが、この国の統治が難しいのはそれだけではない。元来アフガニスタンは一つの国ではなく、流動的な東西文明の交差点であったからである。
 今日のアフガニスタンを構成する地域の歴史自体は非常に古く、紀元前4000年紀には今日のヘルマンド州とカンダハル州を中心に青銅器時代の文明圏が形成されていた。この文明圏は今日では隣国イランに属する同時代のシャフレ・ソフテ遺跡を中心としたジロフト文化とも連続しており、両者は共通の文明圏に属していたと考えられている。
 アフガニスタン側では今日のカンダハル州に属するムンディガク遺跡が中心であり、先のシャフレ・ソフテ遺跡と合わせて、当該文明圏の二大都市を成している。
 文字も存在しており、シャフレ・ソフテ遺跡からはエラム語のテクストが発見されている。エラム語は今日のイラン西部に栄えたエラム帝国の公用語であり、その後もエラムを滅ぼしたペルシャ帝国の公用語でもあった言語で、同時代に併存したヘルマンド文明圏でも使用されていたと見られる。
 ヘルマンド文明圏には、陶器製造や石造、金属加工、建築などの技術のほか、印章も備わっており、相当に高度な文化発展段階にあったことが窺える。近隣のインダス文明圏とのつながりを示す証拠もあるが、同文明よりも時代を遡ると見られている。
 さらに発掘が進めば、ヘルマンド文明圏は古代四大都市文明に追加される第五の古代都市文明に認定される可能性もあり得る候補であるが、長い戦乱のため―とりわけ、ヘルマンド州は旧政権軍とターリバーンの激戦地であった―、発掘は進捗していない。
 なお、ヘルマンド文明圏は紀元前3000年紀の後半期に衰退しており、その後、この地には今日のアフガニスタンとイランの主要民族であり、またインドの主要民族でもあるアーリア系の諸民族が進出してきた。

 

 アフガニスタンをめぐっては、すでに『アフガニスタン―引き裂かれた近代史』と題する連載で、近代アフガニスタンの苦難に満ちた歴史を扱ったが、本連載はその前史とも言える近代アフガニスタンが形成されるまでの歴史―おおむね18世紀以前―を概観する試みとなる。