歴史の余白

内外の埋もれた歴史を再発見するブログ

インドのギリシャ人(連載第2回)

Ⅰ 始まりの始まり

 
 インドにギリシャ人王朝が出現するに当たっては前史があり、遠くは紀元前328年に始まるアレクサンドロス大王のインド遠征が大きな契機となっている。それ以前にも、ギリシャ人のインド移住はあったとする説もあるが、確証はなく、史料上も確実となるのは、大王遠征以降であるとされる。
 アレクサンドロス自身はインドを完全に支配し、そこにとどまることはなかったが、征服地にギリシャ人総督を残した。またアレクサンドロス軍に従軍した兵の中にはインドに残留し、定住した者も少なくなったと見られ、インド北西部を中心に多数のギリシャ植民都市が築かれ、インド・ギリシャの最初の礎を築いた。
 アレクサンドロスギリシャ人総督は大王の夭折後、自立して土侯的なギリシャ系小王国を形成したが、間もなくインド亜大陸統一国家となったマウリヤ朝支配下編入されたと見られる。マウリヤ朝内に無視できない規模でギリシャ人勢力が存在したことは、マウリヤ朝最大の功労者アショーカ王が残した碑文に、公用語のインド語(プラークリット語)以外にギリシャ語でも対訳文が記されたことから窺える。
 これらのマウリヤ朝治下ギリシャ人がその後どうなったのかについては情報が乏しく、不明である。現在はパキスタンとなった領域に居住する少数民族カラシュ人はアレクサンドロス大王の兵士の末裔であるとする伝承を持つが、かれらの先祖が何者であれ、紀元前2世紀に始まるインド・ギリシャ人王朝の担い手でなかったことは確かである。
 インド・ギリシャ人王朝の担い手となったのは、紀元前3世紀半ば、ちょうどアショーカ王と同年代に今日はアフガニスタン領になるバクトラ(現バルフ)を首都に興ったギリシャバクトリア王国からの分派であった。
 このギリシャバクトリア王国は、アレクサンドロス大王没後にその配下の将軍ら(ディアドコイ)によって立てられた後継王朝の一つセレウコス朝シリアの領土であったバクトリアの総督を務めていた土着ギリシャ人のディオドトス(1世)が独立し、紀元前255年頃に創始した地方王朝であった。
 最初期のギリシャバクトリア王国は、今日のウズベキスタントルクメニスタン方面への遠征により領土を拡張したものの、マウリヤ朝が支配するインドにはまだ侵出できなかった。インドへの領土拡張は、アショーカ王没後のマウリヤ朝が衰退を始めるのを待たねばならなかった。