歴史の余白

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シチリアとマルタ―言語の交差点(連載第5回)

四 ローマ時代とラテン語

 シチリアとマルタは、紀元前3世紀後半、カルタゴを破ったローマ帝国の手にほぼ同時に渡った。当時のシチリアとマルタには、言語文化的に相違があったが、ローマ的地政学によれば、シチリアとマルタは一体的と認識されたから、両者を統合して「シキリア属州」が置かれた。
 このローマ支配の時代は、シチリアでは紀元5世紀前半、マルタでは同6世紀初頭まで数世紀という長きに及んだため、この時代に、両者はローマ化されることになる。ローマ支配下公用語は、ラテン語である。しかし、それによって直ちに言語交替が起きたわけではない。
 現代シチリア語は、たしかにラテン語と同系統のロマンス諸語に属するとはいえ、このようなラテン語からの派生言語が確立されるのは中世以降のことであり、古代ローマ時代は行政用語としてのラテン語と人々の日常使用言語は一致しなかったと考えられる。
 シチリアでは、おそらく日常的にはギリシャ語がかなり普及していたはずであるし、マルタではなおもフェニキア語またはフェニキア語とギリシャ語とのバイリンガルが続いていたと考えられる。
 特にマルタでは、最終的にセム語系言語に確定し、ラテン語系言語は定着しなかったことを見ると、マルタは穀倉地シチリアほど重視されず、支配密度が高くなかったせいで、ラテン語自体も統治者ローマ人の言語という以上にはほとんど普及しなかったものと考えられる。
 もっとも、現代マルタ語はラテン語の影響を受けたアラビア語シチリア方言を介してラテン系要素を濃厚に持つが、これはローマ支配が終わったずっと後に、イスラーム勢力の支配下で起きた言語交替に起因しており、ローマ支配時代の言語状況とは無関係である。
 また、現代マルタでは1934年までイタリア語が公用語とされていたため、イタリア語の普及率も高いが、これは19世紀にマルタを再びイタリアに「回収」しようという政治運動の過程で、近代イタリア語がマルタで普及したためであり、これまたローマ支配とは無関係である。
 一方、最終的にロマンス語系に確定したシチリア語の場合、ローマ支配時代に将来のロマンス語系言語の基層が形成されていたのかどうかは、一つの問題である。この時代に、ローマ化されたエリート層の間で、先史言語やギリシャ語も吸収したラテン語シチリア方言的なプロト・シチリア語が形成され始めていた可能性はあるかもしれない。
 しかし、シチリアローマ帝国滅亡後、ローマの手を離れた後、イスラーム勢力を含む様々な外来勢力または国の支配をめまぐるしく受け、そのつど支配言語も変化する中で現在の形に形成されていったことを考えると、ローマ支配時代のラテン語は礎石段階にとどまったと考えられる。