歴史の余白

内外の埋もれた歴史を再発見するブログ

シチリアとマルタ―言語の交差点(連載第4回)

三 フェニキア人の植民とマルタ語

 フェニキア人の入植活動は地中海域全般に及んだから、マルタ島もその例外ではなかった。紀元前8世紀頃、フェニキア人の最初期の拠点であった現レバノンティルスから最初の集団的な入植があったと見られ、フェニキア人の古代墓地が現代でも確認できる。
 マルタという島名は、元来はフェニキア人植民都市イムディーナと近隣のラバトを併せた呼び名「マレス」(安息地の意)に由来するもので、これがやがて全島の島名となったものである。よって、現在では国名ともなったマルタという語は、フェニキア語に由来する。
 その後、ティルスの植民都市として現在のチュニジアに建設されたカルタゴフェニキア人最大の拠点となると、紀元前6世紀半ば以降、マルタもフェニキアの属領となる。
 この後、フェニキアがローマに敗れ、マルタがローマ領となるまでの数世紀はフェニキア人の支配下にあって、この間の共通語はフェニキア語であったから、現代マルタ語の基層にフェニキア語が存在しても不思議はないはずである。しかし、どうもそうではない。
 現代マルタ語もフェニキア語(絶滅言語)もともにアフロ‐アジア語族セム語派に属しているが、現代マルタ語はアラビア語の方言という位置づけにあり、フェニキア語とは系統が異なっている。実際、現代マルタ語の語彙のおよそ60パーセントがアラビア語系と分析されている。
 一方、マルタがシチリアと異なるのは、ギリシャ人の直接的な入植を受けなかったことである。ギリシャ人も地中海全域で入植活動を展開したことに鑑みると、マルタ島を素通りしたのは不思議というべきだが、ギリシャ植民都市の痕跡が存在しないことはたしかである。
 その代わり、マルタはフェニキア人支配時代に地中海における貿易活動の重要な中継点となり、これを通じてギリシャ文明が浸透、いわゆるヘレニズムの影響を受けた。ヘレニズムは建築等の美術にとどまらず、言語においてもギリシャ語が用いられるようになった。
 ただし、フェニキア語との二言語併用であり、フェニキア語がギリシャ語に言語交代したものではない。おそらくは、この時代のフェニキア人自身がフェニキア語とギリシャ語のバイリンガルであったと考えられる。
 いずれにせよ、紀元前3世紀後半にマルタがローマ帝国の手に落ちると、マルタのフェニキア語は、まさにマルタという島名に残されたほぼ唯一の痕跡を除いて、一掃されてしまったようである。このことは、フェニキア人以外の先住マルタ人がフェニキア語を受容しなかったという事実も推測させる。