歴史の余白

内外の埋もれた歴史を再発見するブログ

シチリアとマルタ―言語の交差点(連載第2回)

一 シチリアとマルタの先史/最初期言語

 先史時代とは、最も端的に定義づければ、文字が発明される以前の時代をいうから、文字化されない口頭言語であった先史言語を特定・再構することは不可能であるが、推定することはできなくない。シチリアとマルタの場合、先史時代はともに巨石文化圏にあり、遺跡も残されている。
 特にマルタでは世界遺産にも登録されている紀元前3000年代まで遡る新石器時代の巨石神殿群が見られ、巨石文化圏でもかなり発達していたと考えられる。シチリアでも、もう少し地味ではあるが、やはり巨石記念物が見られる。*マルタには紀元前5000年代以来、シチリアからの移住者があったとされる。
 先史ヨーロッパに広く分布したこれら巨石文化を担った民族は不詳であるが、コーカサス地方を出自とするハプログループGを共有していたと推定されている。このグループは現在では原郷のコーカサス地方に集中し、多様な少数言語を含むコーカサス諸語を話す。
 ここから推定すれば、シチリアやマルタの巨石文化担い手民族も、コーカサス諸語のいずれかに近い言語を共有していたと考えられる。しかし、現在、シチリアとマルタで使用される言語に、コーカサス諸語との共通性を見出すことはできないので、この先史言語Xは絶滅したと見てよいだろう。
 巨石文化が終わった後の両者の歴史は分かれる。シチリアには、シカニ人やエリミ人、島名の由来でもあるシケル人といった新たな民族が移住してきた。かれらがギリシャ文字を使用していたことはわかっているが、言語はギリシャ語ではなく、その特定はほぼ碑文に限定される文字史料の少なさから困難である。
 特に島名由来でもあるシケル人の言語(シケル語)は比較的豊富な碑文から研究されており、印欧語族系との推定がなされているが、同定されるに至っていない。ただ、エリミ語についても印欧語族系と推定されているから、これらポスト巨石文化時代のシチリアの言語はおおむね印欧語族系であったと想定することはできる。
 しかし、こうしたシチリア最初期の印欧語族系諸言語が印欧語族ロマンス諸語に分類される今日のシチリア語の最古層にあるかどうかは不明であり、既存文字史料の解読とさらなる文字史料の発見を通じた最初期言語の再構を必要とするだろう。