歴史の余白

内外の埋もれた歴史を再発見するブログ

仏教と政治―史的総覧(連載第34回)

十一 近代国家と仏教

インドの仏教復興運動
 発祥地インドでは伝統的なバラモンヒンドゥー教に押し返されて極小宗派となった仏教であるが、近現代になって、反カースト差別の政治運動と結びつく形で部分的な復興の動きがある。
 その創始者ビームラーオ・アンベードカルはカースト制度におけるカースト外最下層身分ダリットに出自し、戦後独立したばかりのインドの法務大臣憲法起草者を務め、「インド憲法の父」とも称される法律家・政治家であって、宗教家ではない。政治家としての彼の最大の目標はインドの宿痾とも言うべきカースト差別廃絶にあった。
 彼は死の直前に仏教に改宗したにすぎないが、この時、彼の支持者である50万人規模のダリットも集団改宗したことで、戦後インドにおける仏教復興運動が開始されたとみなされる。
 こうした経緯から、この運動はアンベードカル独自の仏典解釈に強く影響されている。例えば、仏教における根本概念である輪廻転生・因果応報はカースト差別の正当化に利用されかねないことから否定されるなど、合理主義的な性格が強い。
 従って、このアンベードカル主義仏教を厳密に分類することは難しいが、内容上は上座部仏教を土台としながらも、後発の大乗仏教密教まで包摂した止揚的な新仏教であり、ある種の仏教系新興宗派とみなすこともできるかもしれない。
 こうしたアンベードカル主義の仏教運動は、彼の死後も支持者らによって継承され、インドにおいて一定の勢力を保持している。政党では、ダリットを支持基盤とする中道左派政党である大衆社会党にも浸透し、同党は2007年のウッタル・プラデーシュ州議会選挙に勝利して、州政権を獲得した(12年選挙では敗北下野)。
 とはいえ、インドにおける仏教徒人口は1パーセントに満たず、釈迦による創唱当初の勢いは見られない。多数派ヒンドゥー教からの批判も根強く、全国的な広がりには程遠いが、現代インド仏教はカースト差別克服問題と結びつく形で独自の展開を見せていることは間違いない。
 なお、前回も見たとおり、インドは1959年以来、北部ヒマーチャル・プラデーシュ州ダラムサラダラムシャーラー)にダライ・ラマ14世とチベット亡命政府の存在を認め、庇護している。結果として、ダラムサラはインドにおけるチベット仏教拠点として定着した。
 しかし、インド連邦政府は中国との関係維持のため、ダライ・ラマあるいはその支持勢力による政治的活動には否定的であり、もともと微妙な中印間における微妙な外交問題となっている。