歴史の余白

内外の埋もれた歴史を再発見するブログ

日本語史異説―悲しき言語(連載第17回)

六 日本語の誕生と発達③

 漢字を当てた日本式表音文字体系の万葉仮名からより簡略な仮名文字が発明されたのがいつのことか、明確には判明していない。奈良時代の末頃には漢字を崩した草書体が散見されるというが、正規文字としての使用は平安時代に入ってのことと考えられている。まとまった書物としては、905年に出た『古今和歌集』序文が最初の平仮名文書と目されるので、10世紀初頭には平仮名はすでに開発されていたことになる。

 続いて、個人の散文作品としては935年頃に出た紀貫之土佐日記』が最初の仮名文学とされるが、男性筆者の貫之が女性に仮託して執筆するというジェンダー論的にも興味深い作品である。筆者があえて女性を装ったのは、当時、平仮名書体は女性のものと見られていたことによると考えられる。
 つまり、教養程度が高い男性は依然として漢文体で綴るのに対し、漢文素養のない女性は平仮名でしか綴れないというジェンダー・バイアスである。実際のところ、紫式部をはじめ、平安時代の著名な女流作家たちは皆、漢文素養も十分に備えていた一方、男性たちも私信や和歌では平仮名を用いており、少なくとも文章家の間における漢字と仮名の使い分けはジェンダーよりも文章のジャンルによっていたものと見られる。

 ちなみに、もう一つの仮名文字である片仮名は平仮名に比べて遅れて発達し、当初は漢文和読に際しての訓点という補助記号的な性格の文字であった。しかし、10世紀後半に出た作者不詳の『うつほ物語』の中に片仮名の書体が現われていることから、この頃には片仮名の使用も普及していたが、なお不統一かつ限定的であり、現代のような形で正規文字として確立されたのは、12世紀以降と見られている。

 仮名文字の特徴は字形が簡略されており覚えやすいことであるが、音声的には母音を示す五十音ア行はともかく、カ行以下は子音と母音が文字上は区別されないため、表音文字としては万葉仮名よりも後退してしまったことは否めない。
 この点、コリア語のハングル文字では、母音と子音が発音記号的に書き分けられるため、文字を見れば発音が一覧できるのとは異なり、仮名文字の場合、ア行以外は文字だけでは発音が部分的にしか判明しないという限界を持っている。*ただし、アラビア文字のように子音のみを示すアブジャドとは異なり、カ=k(+a)、キ=k(+i)・・・・のように、母音を隠す形で子音プラス母音の組み合わせが示されているとも言える。

 とはいえ、平仮名と片仮名の二種類の仮名体系は漢字を起源としながらも、日本語独自の表音文字として定着していき、これによって日本語は文字体系を備えた文章語としても確立される。
 しかし一方では、漢字も排除されることはなかった。この点、日本語は漢語を固有の和語に翻案して造語するという言語ナショナリズムを徹底することなく、多くの漢語をそのまま取り込んだために、漢語は漢字で表記する習慣が残されたのである。
 そこから、やがて漢字仮名交じり文という二種類の文字で混淆表記する異例の折衷的書式が確立された。これが日本語の悲劇の始まりである。日本語の文章語を習得するには、二種類の文字と、漢語と和語双方の単語を覚え、その選択法についても訓練しなければならなくなったからである。
 和漢混淆文による最初の作品と目される平安時代末の『今昔物語集』の段階では漢字・片仮名交じり文であったが、近代以降、西洋からの外来語をやはり和語に翻案せず、和語と区別して片仮名表記する習慣が定着したせいで、現代日本語では漢字・平仮名・片仮名の三種文字混淆体が標準である。
 このような三種文字併用策は、非ネイティブによる日本語の読み書き習得を著しく困難にし、日本語の国際性を妨げているばかりか、ネイティブ日本人自身の読み書き習得をさえ困難にしているのである!