歴史の余白

内外の埋もれた歴史を再発見するブログ

日本語史異説―悲しき言語(連載第7回)

三 弥生語への転換②

 前回、大陸から弥生人がもたらした新しい言語=弥生語は従来前提されてきたような北方系ではなく、それ自体も縄文語とは別系統の南方系ではないかと仮説を立てた。そう考えると、現代日本語にも継承されている南方的要素は縄文系のものと弥生系のものと二元性を持つのか、それとも一元的に弥生系のものなのかが問題となってくる。

 この問題は縄文語がどの程度現代日本語にも継承されているのかということにも関わる。一般論として言語寿命はさほど長くないことを考慮すれば、縄文系の要素が数千年の時を経て現代まで保続されていると想定することは現実的ではない。
 一方で、弥生人の到来により一気に縄文語が絶滅したと想定することもまた現実的ではなく、縄文語の駆逐は地域的な偏差を伴いながら漸次進行していったものと考えられる。その場合、まず弥生人が最初に上陸・定着した九州北部では最も早くに縄文語は弥生語に置き換わったであろう。
 その後、弥生人は先住縄文人を征服・通婚しながら、本州を東へ進んでいっただろうが、関東・東北への到達は遅れたと見られるので、大雑把に言って東日本では縄文語は比較的長く保続されたものと見られる。また西日本でも弥生人に駆逐された一部縄文人が山間部に逃亡し、山地民として存続したとすれば、西日本の山地民の間でも縄文語は長く保続されたかもしれない。
 しかし、弥生化が西から東へ順次進行していくにつれ、次第に弥生語が縄文語を凌駕する形で、少なくとも北関東・東北南部までは弥生語地帯となっただろう。それ以降、東北南部(今日の福島県付近)を大まかな分岐点として弥生語系地域とそれ以北の縄文語系地域に分かれていく。後者の言語帯は後にエミシの地とされる領域と重なり、このうち北海道地方の方言が近世アイヌ語の母体となる。

 このように整理してみると、現代日本語から析出される南方系要素は縄文語ではなくほぼ弥生語からの継承と考えることができ、それは同時に、縄文語の系譜を引く近世アイヌ語における南方的要素との齟齬部分を成す。他方、アイヌ語ともわずかながら共有する要素の部分はかすかな縄文語由来の痕跡であるかもしれない。