二 縄文語の生成と行方②
前回末尾で触れた比較言語学者・村山七郎は、日本語の基層を集中的に掘り下げる中で、日本語の基本的な語彙の基層にオーストロネシア語族との系譜関係を見出した。ただし、村山は「縄文語」の導出には慎重であるが、少なくとも日本語のオーストロネシア語族的要素は縄文時代に持ち込まれたものと推定している。
オーストロネシア語族は、現代ではマレー半島、インドネシアからフィリピン、台湾先住民、そして南太平洋全域、さらにはアフリカのマダガスカルにまで広がる大語族であり、発祥の地は台湾とする説が有力である。
総体的に航海を通して拡散した海洋民族の言語であり、縄文人もこの語族人の一部が日本列島に渡り、形成されたという推論も成り立つ。このことは、例えば関東地方で発見された縄文人骨のDNA型がマレー系の現代人のそれと類似しているといった人類学的証拠からも間接的に裏付けられる。
ただ、村山説で注目されるのは、北海道の少数言語・アイヌ語についても、同じくオーストロネシア語族との系譜関係を指摘していることである。オーストロネシア語族はその内部がさらにいくつかの系統に細分されるが、村山によるとアイヌ語はメラネシア語派に近いという。
もっとも、現在の系統分類上、メラネシア語派というくくりはせず、ミクロネシア諸語やポリネシア諸語と併せて太洋州諸語というより広いくくりに含まれている。
ところで、アイヌ語と日本語(アイヌ語に対する和人語)とは別系統の言語であるとするのが定説であるところ、その両方が同じオーストロネシア語族との系譜関係を持つということは、アイヌ語と日本語の前身形態は同系語であったが、いずれかの時点で大きく袂を分かったとの推論を導く。
実際、最もよく知られたアイヌ語で「神」を意味する「カムイ」などは、和人語の「神:カミ」からの借用語だという説が有力だが、このような説は文化的に低いアイヌ人が文化的に高い和人との接触によりその語彙を借用したという和人優越論を前提としている。
しかし、神のような精神文化の中核的な概念語を簡単に異文化から借用するとは考えにくく、本来アイヌ語と和人語は同系統で、共通語源の語彙を豊富に有していたという推論も成り立つように思われる。
もっとも、アイヌ人とアイヌ語は中近世以降に形成されたもので、それ以前は北海道から東北地方にもまたがって集住していた先住民族エミシの言語がアイヌ語の土台となっていると考えられる。これを仮に前アイヌ語と呼ぶとすれば、前アイヌ語と前日本語としての縄文語は同系統言語であったと推定できる。
このうち、前アイヌ語のほうは東北地方のエミシ勢力が日本朝廷の民族浄化政策で消滅した後も、北海道では保続され、アイヌ語として継承・再編されていったということになるだろう。
一方の縄文語の行方が不明である。いずれかの時点で大きく変容されつつも継承されていると考えるか、それとも完全に消滅し、絶滅言語となったと考えるか。この問題については、年越しの宿題として次回以降検討してみたい。