歴史の余白

内外の埋もれた歴史を再発見するブログ

日本語史異説―悲しき言語(連載第3回)

二 縄文語の生成と行方①

 日本語史を考える場合、前回も触れたように、旧石器時代の使用言語はおくとして、縄文時代に日本列島で使用されていた言語―縄文語―がとりあえずのスタート地点となる。とはいえ、縄文語に関しても、その概要を直接に知り得るような言語史料は存在しないため、推定の域を出るものではない。
 ウラル語族を専門とする言語学者の小泉保は、大胆にも『縄文語の発見』と題する書物を公刊し、縄文語が現代日本語の直接的な基層となっているという説を提唱したが、そのいささか独断主義的な方法論には批判もある。

 そもそも「縄文語」といっても南北に長大な日本列島を統一する中央政府など想定もされなかった時代、列島全域で共通の言語が使用されていたとする証拠はなく、複数の言語が使用されていた可能性もある。また、基本的には同一の言語だったとしても、それこそウラル語族に属するサーミ語(主に北欧のトナカイ遊牧民であるサーミ族の言語)のように、方言同士で通じ合わないほど方言差が大きかった可能性はある。*小泉も縄文晩期における裏日本縄文語、表日本縄文語、九州縄文語、琉球縄文語 という四大方言を区別する。
 実際、日本語は近世に至っても方言差が大きく、明治政府が標準語を定めた大きな理由の一つが、全国各地の出身者を集めた政府軍内で方言差による命令伝達の誤りや不通を防止するためだったのはそのことを象徴している。

 縄文語を複数言語の集合とみるか、顕著な方言差を伴う同一言語とみるかはともかくとして、縄文語は大陸から切り離された日本列島で1万年余りの長期にわたって使用されたことからして、大陸の言語からは独立した孤立言語として発達していった可能性が高い。そのことが、現代日本語の孤立性と直接に関わっているかどうかは、縄文語が現代日本語に直接に継承されているかどうかという問題に関わる。
 この点、世界の現代語の多くは比較的歴史の浅い言語であって、いわゆる四大文明圏で使用されていた言語のうち、アクティブに現存しているのは中国語くらいである。ただし、中国語の原郷と見られる黄河文明圏は、四大文明圏中では最も後発で、現在確認されている最古の漢字は紀元前1000年紀を遡らない。*文字の発明は言語の発生に遅れるので、中国語の発生時期はより遡るであろう。
 言語の寿命は意外に短いもので、多くの有力な古代言語が今日では絶滅言語となっている事実から推せば、2000年以上前に終焉した縄文時代の言語が現代まで系統的に保持されているという推定には悲観的とならざるを得ない。

 それでも、縄文語は日本列島で生成し、極めて長きにわたって使用されていた言語であった事実に変わりなく、その断片要素が現代日本語に一切継承されていないと断じるだけの証拠もない。そこで、縄文語の概要を推論的に再構することは意味のあることである。
 次回は、「縄文語の発見」よりもオーソドックスな「日本語の起源」という視座から日本語の基層に関する系統的な研究業績を残した比較言語学者・村山七郎の著作によりながら、縄文語の概要について考察することにしたい。