歴史の余白

内外の埋もれた歴史を再発見するブログ

日本語史異説―悲しき言語(連載第2回)

一 日本語と前日本語

 本連載では、日本語の歴史を扱うが、ここで日本語とは、日本を国号とする国が成立して以降、日本国が事実上の公用語としてきた言語を指す。その意味で、ここでの「日本語」は政治的な意味合いを帯びた用語となる。
 日本の国号が定まった正確な年度は定かでないが、おおむね7世紀代であることは定説となっているので、上記のような意味での日本語の歴史は7世紀以降に限られることになるはずである。しかし、それだけでは一見孤立した独異な日本語の生成過程はよく見えてこないので、本連載では日本国成立以前の日本語、言わば前日本語についても併せて扱うことにする。

 言語の履歴は人類の履歴とほぼイコールであるので、日本列島で使用されてきた前日本語の履歴も、日本列島人の履歴とほぼイコールである。この前日本語の履歴は日本語の歴史に比べて気が遠くなるほど長大である。
 かつて日本列島には後期旧石器時代以前に人類が居住した証拠はないとされてきたが、その後、前期旧石器時代に遡る遺跡が「発見」され、学術上のコペルニクス的転換があった。ところが、この「発見」は記念すべき20世紀最後の年2000年に発掘担当者の捏造であったことが発覚するという大スキャンダルとともに否定され、現在のところ、日本列島において後期旧石器時代以前に遡る人類の存在は確証されていない。
 とはいえ、わずかながら前・中期旧石器時代のものと考えられる正当な遺跡も発見されており、少なくとも後期旧石器時代にはすでに日本列島人は存在しており、かれらも何らかの言語を使用していたはずであるが、そのような先史言語を証明する史料は当然ながら残されていないので、推測の域を出ない。*遺伝子型としては、現代日本人にも10パーセント未満」の割合で継承されているミトコンドリアDNAのハプログループM7a型は旧石器時代の人骨からも検出されており、最古日本列島人のものである可能性がある。

 時代はやがて土器を製造する縄文時代に入り、これが1万年余りも持続した後、稲作農耕社会である弥生時代という一大社会変革期を経て、当初は倭国を称した古代国家が次第に形成され、歴史時代へ入っていく。この間も当然に前日本語は存在していた。
 直線的な史観を重ね合わせれば、この前日本語は同一言語の一貫した連続的発展体であったことになるが、分子遺伝学や移住・定住史などを参酌する限り、それほど綺麗な直線史観を描くことはできない。そこで、やや図式的になるが、本連載ではいちおう通説的な時代区分に合わせ、前日本語を縄文語・弥生語・倭語と細分化してみたい。7世紀以降の日本語と併せて図式化すれば、縄文語・・・弥生語・・・倭語―日本語という流れになる。

 より精確には、縄文語以前に、先述した旧石器時代の「先日本語」とでも呼ぶべき何らかの言語Xが置かれるべきであるが、これについては何も言うことができないので、ここでは割愛せざるを得ない。
 ところで、上の図式におけるそれぞれの項の関係を矢印→でなく、点線・・・や棒線―で結んだのは、その間に必ずしも連続した関係性を認めず、切断やずれの可能性を想定するからである。この時点ですでに日本語史の有力な見解に反する「異説」としての管見の一端が現われているのであるが、その詳細は次回以降の記事で明らかにしていきたい。