歴史の余白

内外の埋もれた歴史を再発見するブログ

私家版足利公方実紀(連載第1回)

 14世紀から16世紀後半にかけて、周知のように、日本では京都に武家政権機構である幕府と天皇の朝廷とが並立するという独異な時代―いわゆる室町時代―を経験した。言わば軍事政権と宮廷が並存したわけで、しかも幕府も基本的に世襲制であったから、一種の王朝化を来たし、軍閥王朝と貴族王朝が並立する二重権力状態であった。
 江戸時代にほぼ匹敵する15代237年に及んだ室町時代は、日本の歴史においては、中世と近世とを分ける大きな転換点であったと言える。大雑把に見れば、その出発点である南北朝分裂動乱の頃までは鎌倉幕府以来の中世の延長であったが、南北朝統一以降は幕府を頂点とする守護領国制が発展し、次第に軍事的な封建制の基盤が固まっていく。
 しかし、幕府の王朝的軟弱化により守護大名らの自立化が進行し、応仁の乱を境に自立的な戦国大名が群雄割拠する戦国時代へと突入し、幕府は事実上の地方政権へと縮退する。その幕府自体も、言わば関東支部に当たる鎌倉府が古河に東遷すると、幕府から自立化し、実質的な東西分裂を来たす。
 こうした長期にわたる内乱的過程で、農民層をも巻き込んだ大規模な社会変革と下克上と呼ばれるような階級再編が継起した激動期が、室町時代であった。通俗的には、派手な合戦に満ちた戦国時代が偏重的に注目され、その動因となった先行の室町時代が注目されることはめったにない。しかし、この歴史的な大転換の時代はその後の日本を考えるうえでもっと留目に値する。
 本連載は、そうした室町激動史をあえて紀伝体という古風な叙述法によって描こうとするものである。すなわち室町幕府の主であった足利公方たちの小伝をもって構成される。ここで足利公方というと、最狭義では室町幕府の15人の将軍のみを指すが、最広義には各地に拡散した足利将軍家一族当主を含む。
 しかし、本連載では中庸を取り、幕府の15将軍に加え、初代将軍足利尊氏の父で、足利将軍家の実質的な始祖に当たる足利貞氏から始め、かつ最後の足利家当主とも言える足利氏姫をもって締める。
 そのうえ、将軍ではないが、最終的には幕府から事実上自立し、将軍に準じた実力者となる鎌倉公方(後に古河公方)歴代9人に、古河公方から分離・対抗し、最終的には近世における足利宗家後裔・喜連川氏に連なる小弓公方の祖・足利義明も加え、計27代の紀伝にまとめる予定である。