歴史の余白

内外の埋もれた歴史を再発見するブログ

イラクとシリア―混迷の近代史(1)

序説

 21世紀の幕開けとなった9・11事件以後、開始された「テロとの戦い」が「「イスラーム国」との戦い」に拡大しようとしている現在、主戦場はアフガニスタンというイスラーム世界ではどちらかと言えば辺境の地からイラクとシリアというイスラームの本場に移ってきている。
 そこで、改めてこの隣接し合う両国への注目が高まっているが、問題はどこに注目するかである。表面的な宗派・民族対立といった点に注目するだけでは全く不足である。一方で、「文明の衝突」テーゼに従って、両国をキリスト教vsイスラーム教の最終決戦の戦場とみなすのは、ゲーム的発想―元となる「文明の衝突」テーゼ自体ゲーム的だが―に過ぎよう。
 現在のような事態を招いた要因は、両国がたどった近代史の中に見出される。両国の近代史はともにオスマン・トルコの長い支配から解放された1917年に始まると言ってよいが、その「解放」は中東で覇権を競い合う英仏を中心とした西欧帝国主義国の分割支配を意味する運命にあった。
 そこからさらに独立後、紆余曲折を経て現在に至るまで、ほぼ百年にわたる近代の歩みがあるが、それは混迷と呼ぶにふさわしいプロセスであった。そして今また、大きな曲がり角に来ている。今度はあろうことか、中世カリフ国家の復活を呼号する勢力によって制覇されようとしているのだ。
 対する米欧は、これまた中世の十字軍を思わせる「有志連合」を結成してカリフ国家の軍事的な壊滅を目指しているが、かれらの思考には問題地域の近代史に対する洞察が欠けている。かれらの究極的な狙いは、両国に「親米欧」の政権を建てて、自国資本の進出先として確保しようという点にあることは隠しようがない。そうした歴史無視の目先利益のみを優先させることこそ、イラクとシリアに混迷をもたらした帝国主義列強的発想と同一の思考にほかならない
 そのような旧態思考のまま、たとえ「イスラーム国」の壊滅にいったんは成功したとしても、根本的な解決とはならず、第二、第三の「イスラーム国」の出現を防げない。その意味で、「イスラーム国」とは現在米欧が相手取っている集団の固有名詞ではなく、将来の同種集団を含めた一般名詞ととらえなければならない。
 しかし、米欧が歴史を無視することには理由がある。それはひとたび歴史に立ち返れば、「歴史認識」問題に直面するからである。「歴史認識」は、東アジアでも国際的不和・緊張の要因となっているが、ここでは今のところ、口舌による非難合戦で済んでいるのに対し、中東では激しい戦火を交えることになる。
 件の「イスラーム国」は、その残虐性や狂信性ばかりが強調されるが、一つの歴史認識とそれに基づく地政学的主張を携えている点が、単なる「テロ集団」とは異なる点である。すなわち、帝国主義列強が引いた国境線を否定し、カリフが指導する新たな領域国家を作り直すというのである。
 たしかに、イラクとシリア、中でもイラクの悲劇は「国境線の悲劇」でもあるので、かれらの主張には一理ある。ただ、一説によれば、「イスラーム国」は少なくとも中東イスラーム圏全域の包括的支配を目指しているとも言われるので、そうだとすると、それはほとんど旧オスマン帝国の支配領土と一致し、オスマン帝国の復活―今度はトルコ人でなく、アラブ人主導で―に近い野望を抱いていることになる。
 そうした“帝国”構想の現実性はさておき、さしあたり「イスラーム国」が掌握しようとしているイラクとシリアの近代史を批判的に概観することは、現在の問題の解決の糸口をつかむ上で、最低限必要なことである。
 もとより、筆者は中東史の専門家ではなく、近代史の専門家ですらないので、教科書的な「解説」は本連載の目的とするところではないが、筆者の他の連載と同様、専門家的な部分思考ではとらえきれない総合的な視座を提示することは可能ではないかと考えている。