歴史の余白

内外の埋もれた歴史を再発見するブログ

弥助とガンニバル(連載第4回)

三 大航海と奴隷貿易

 アッバース朝からオスマン帝国へと引き継がれ、確立されたアフリカ奴隷貿易システムに対する対抗者として現れたのが大航海時代を迎えた西欧である。ポルトガルが先陣を切った。アントン・ゴンサルベスなる15世紀のポルトガル人航海者が初めてアフリカ西海岸で奴隷狩りを行なった人物として記録されている。
 初期の時代はシステム化された奴隷貿易というよりも、こうした航海者や商人による私費での粗野な「奴隷狩り」が中心であったが、1452年に時のローマ教皇ニコラウス5世がポルトガル国王アフォンソ5世に異教徒の恒久的な奴隷化を勅許したことが転換点となる。
 これが一種の宗教的なお墨付きとみなされて、以後、奴隷貿易がシステマティックに行なわれるようになる。ポルトガルのアフリカ大陸踏査はオスマン帝国の貿易ネットワークを避けて西海岸を南下する形で進められていったことから、西海岸地帯が西欧系奴隷貿易の中心地となっていく。
 奴隷貿易すべてに共通することであるが、地元勢力の協力なしにはシステマティックな奴隷貿易は構築できない。西アフリカ沿岸の奴隷貿易では、地元黒人部族勢力が同胞黒人を拘束し、奴隷としてポルトガル人に売り渡すという仕組みが形成された。
 これら部族勢力はそうして奴隷貿易で蓄積した富を基盤に、強力な王国を形成すらした。中でも最も著名なのが、今日のベナン共和国の前身となるダホメー王国である。ダホメーは、奴隷の給源となる征服地の捕虜と西洋人の銃火器を交換して軍備の近代化を進め、専制的軍事国家を作り上げたのである。
 ポルトガルに続きスペインが台頭すると、両国は1482年にポルトガルにより今日のガーナに築かれたエルミナ城を拠点に、奴隷貿易を本格化させていく。特に、新大陸を次々と侵略して植民地を拡大していったスペインは、酷使や疫病による現地先住民の激減に伴い、新たな奴隷労働力として黒人の移入を必要とした。
 他方、オスマン帝国奴隷貿易ネットワークへの食い込みを図り、東アフリカ方面にも侵出していったポルトガルは15世紀末、今日のモザンビークを中心とするポルトガル領東アフリカを成立させ、ここを新大陸側植民地ブラジルへの奴隷供給基地とする。本連載主人公の一人弥助もモザンビーク出自と伝えられるのも、このことに関わっている。