歴史の余白

内外の埋もれた歴史を再発見するブログ

〆私家版朝鮮国王列伝

私家版朝鮮国王列伝[増補版](連載最終回)

二十二 高宗・李熙(1852年‐1919年)/純宗・李坧(1874年‐1926年) 李昰応・興宣大院君(大院君)の項でも先取りしたように、26代高宗は大院君の次男であり、先代哲宗との血縁の遠さからすれば、実質上高宗をもって王朝交代があったとみ…

私家版朝鮮国王列伝[増補版](連載第21回)

二十一 閔玆暎・明成皇后(1851年‐1895年) 26代高宗の正室・閔玆暎は通称で「閔妃」と呼ばれるように、驪興閔氏の出であった。閔氏は孔子の高弟・閔子騫の末裔を称する中国系の豪族であったが、さほど有力家系ではなかったところ、大院君の正室に…

私家版朝鮮国王列伝[増補版](連載第20回)

二十 李昰応・興宣大院君(1820年‐1898年) 勢道政治に呑まれ、全く権能を発揮できなかった25代哲宗が1863年に没すると、転機が訪れた。まだ存命していた24代憲宗生母の神貞王后が動き、26代国王として、全くの王室傍流にあった李昰応の次…

私家版朝鮮国王列伝[増補版](連載第19回)

十九 哲宗・李昪(1831年‐1863年) 先代の24代憲宗は世子を残さず、夭折したため、後継問題が生じた。この時、23代純祖の王妃だった安東金氏出身の純元王后が動き、憲宗生母の神貞王后が出自した豊壌趙氏の機先を制する形で、22代正祖の弟の孫…

私家版朝鮮国王列伝[増補版](連載第18回)

十八 純祖・李玜(1790年‐1834年)/憲宗・李奐(1827年‐1848年) 23代純祖は先代正祖の次男であったが、11歳での即位となったため、先々代英祖の継室で、正祖没後に政治的に復権した貞純王后の垂簾聴政を受けた。貞純王后は反正祖の実…

私家版朝鮮国王列伝[増補版](連載第17回)

十七 正祖・李祘(1752年‐1800年) 22代正祖は、父荘献世子が祖父の21代英祖によって処刑されたため、一代飛ばす形で英祖の後継者となった。彼は荘献世子の子であることに内心誇りを抱いていたようであるが、君主としては祖父の路線の継承者であ…

私家版朝鮮国王列伝[増補版](連載第16回)

十六 英祖・李昑(1694年‐1776年) 20代景宗が急死した後を受けて即位した異母弟の21代英祖は、生母淑嬪崔氏が最下層の賤民階級出自という異例の王である。景宗の生母禧嬪張氏も中人階級出自ながら一時は王妃に昇格した異例の人物であったように…

私家版朝鮮国王列伝[増補版](連載第15回)

十五 粛宗・李焞(1661年‐1720年)/景宗・李昀(1688年‐1724年) 父の第18代顕宗の後を受けて1674年に14歳で即位した第19代粛宗は、朝鮮王朝では久々に半世紀近い長期治世を保つ王となった。彼は政治的にも早熟と見え、年少で即…

私家版朝鮮国王列伝[増補版](連載第14回)

十四 孝宗・李淏(1619年‐1659年)/顕宗・李棩(1641年‐1674年) 17代孝宗は、16代仁祖の次男(鳳林大君)として、丙子の乱で朝鮮が清に敗れた後、兄の昭顕世子とともに清に人質として送られた。抑留時代の鳳林大君は世子である兄を守…

私家版朝鮮国王列伝[増補版](連載第13回)

十三 仁祖・李倧(1595年‐1649年) 16代仁祖は14代宣祖の孫に当たり、伯父の光海君を打倒した西人派のクーデターによって擁立された。そのため、このクーデターは仁祖反正とも称される。クーデターに際して最大の動機となったのは、光海君の中立…

私家版朝鮮国王列伝[増補版](連載第12回)

十二 光海君・李琿(1575年‐1641年) 14代宣祖には長く嫡男が生まれず、その晩年は後継問題で揺れていた。庶長子の臨海君は性格上の問題から後継候補を脱落し、最有力候補は庶次子光海君だったが、これには明が長男でないことを理由に世子としての…

私家版朝鮮国王列伝[増補版](連載第11回)

十一 宣祖・李昖(1552年‐1608年) 宣祖は伯父に当たる先代の明宗の世子が夭折し、他に男子なく、しかも父の徳興大院君も早世していたことから1567年、明宗の死去を受けて14代国王に即位した。10代での即位から40年余りに及んだその治世は…

私家版朝鮮国王列伝[増補版](連載第10回)

十 明宗・李峘(1534年‐1567年) 短期の在位で死去した仁宗に代わって13代国王に立ったのが、年の離れた異母弟明宗であった。彼は、中宗の継室文定王后との間の子であり、即位時まだ12歳であったので、文定が大王大妃となり、垂簾聴政を取った。…

私家版朝鮮国王列伝〔増補版〕(連載第9回)

九 中宗・李懌(1488年‐1544年)/仁宗・李峼(1515年‐1545年) 暴君と化した燕山君を廃位に追い込んだ1506年のクーデターは「中宗反正」とも称されるように、新たな11代国王に擁立されたのは燕山君の異母弟に当たる中宗であった。し…

私家版朝鮮国王列伝〔増補版〕(連載第8回)

八 燕山君・李㦕(1476年‐1506年) 9代成宗が1494年に死去した後を継いだのは、18歳の世子李㦕であった。年齢的に見て大妃の後見が必要なはずであったが、生母尹氏は去る82年に賜薬を下され、処刑されていた。 弱小両班の生まれながら成宗…

私家版朝鮮国王列伝[増補版](連載第7回)

七 成宗・李娎(1457年‐1495年) 7代世祖の早世した長男義敬世子の子である9代成宗は8代睿宗が幼児を残して死去した後、祖母慈聖大妃の主導で年少にして王位に就き、成長した76年までは大妃の垂簾聴政を受けた。この時期には世祖時代からの重臣…

私家版朝鮮国王列伝[増補版](連載第6回)

五 文宗・李珦(1414年‐1452年)/端宗・李弘暐(1441年‐1457年) 世襲を基本とする君主制では、名君の長期治世の後に混乱が起きることは古今東西よくあることだが、世宗大王没後の李朝もその例外ではなかった。 世宗は晩年健康を害していた…

私家版朝鮮国王列伝[増補版](連載第5回)

四 世宗・李祹(1397年‐1450年) 前回太宗の項でも触れたように、世宗は先代太宗の三男であったが、世子だった兄が素行不良のため廃嫡されたことにより、入れ替わりで世子となり、太宗から生前譲位を受けて1418年、4代国王に即位した。 世宗は…

私家版朝鮮国王列伝[増補版](連載第4回)

三 定宗・李芳果(1357年‐1419年)/太宗・李芳遠(1367年‐1422年) 太祖・李成桂の晩年を悩ませたのは、後継者問題であった。王子は8人いたが、本来なら後継者となるはずだった第一夫人神懿王后との間の長男芳雨が隠遁、早世したことから…

私家版朝鮮国王列伝[増補版](連載第3回)

二 太祖・李成桂(1335年‐1408年) 李朝創始者となる太祖・李成桂の生涯は大きく四期に分けることができる。第一期は、父の子春が死去した後、後を継いで北方軍閥となり、さしあたり高麗の武将として活動する時期である。実は、彼にとってはこの時期…

私家版朝鮮国王列伝[増補版](連載第2回)

一 桓祖・李子春(1315年‐1360年) 李朝の王家となった李氏の出自民族については韓族とみなすのが通説だが、遠祖を漢族とする史料もあるほか、異説として女真族説も提出されている。 女真族説は李氏の本拠は朝鮮半島でも最北部であり、14世紀初頭…

私家版朝鮮国王列伝[増補版](連載第1回)

序 李朝(朝鮮王朝)は、14世紀末から20世紀初頭に至るまで、日本では室町・江戸時代から明治時代末に至る極めて長い時期に並立した隣国王朝である。同時代にこれほど長きにわたって存続した王朝といえば、西アジアのオスマン朝くらいしか見当たらないほ…