歴史の余白

内外の埋もれた歴史を再発見するブログ

2012-01-01から1年間の記事一覧

天皇の誕生(連載第39回)

第八章 蘇我朝の五十年 (5)王位継承抗争と蘇我入鹿 後継問題の発端 蘇我馬子大王の期待の星・善徳太子=聖徳太子は621年、父王より先に世を去ってしまう。これで馬子の目算は大きく狂うことになり、やがて後継問題をめぐる深刻な内紛の発端ともなった。…

天皇の誕生(連載第38回)

第八章 「蘇我朝」の五十年 (4)聖徳太子の実像 聖徳太子架空説 蘇我馬子と言えば正史上必ずコンビで語られるのが、有名な聖徳太子である。『書紀』によると、聖徳太子は用明天皇の皇子で、推古天皇の甥に当たり、かつ女婿でもあることから、推古の皇太子…

天皇の誕生(連載第37回)

第八章 「蘇我朝」の五十年 (3)蘇我革命体制 蘇我馬子の即位 蘇我馬子は崇峻大王を傀儡として擁立した時点で、事実上の大王に就いたも同然であった。とりわけ法興寺のような大規模宗教施設の創建は古代国家においては王の権力を象徴する事業であったから…

天皇の誕生(連載第36回)

第八章 「蘇我朝」の五十年 (2)昆支朝の斜陽化 文人大王・敏達 欽明=獲加多支鹵大王は40年に及ぶ長期治世の後、571年に死去した。後継者は渟中倉太珠敷皇子[ぬなくらのふとたましきのみこ]で、正史上の第30代敏達天皇である(当時、天皇号はま…

天皇の誕生(連載第35回)

第八章 「蘇我朝」の五十年 6世紀末から7世紀前半までの畿内王権で独裁者となる蘇我氏とはどのような氏族であったのか。また、正史上「蘇我氏の専横」と呼ばれる時代、蘇我氏はあくまでも臣下として独裁したのか、それとも自ら王位簒奪者となったのか。 (…

天皇の誕生(連載第34回)

第七章ノ二 「昆支朝」の継承と発展・(続) (6)二つの任那問題 幻想の「任那経営」 『書紀』の継体紀と欽明紀では、任那(加耶)をめぐる外交・軍事問題(任那問題)がことさらに重視されており、その関係記事の分量が内政関係記事を上回っている。 とり…

天皇の誕生(連載第33回)

第七章ノ二 「昆支朝」の継承と発展・(続) (5)行政=経済改革 中央行政機構 昆支大王、男弟大王時代の畿内王権は旧加耶系王権時代以来の地域王権の性格を脱しておらず、中央行政機構も未整備であったが、重臣の合議制は昆支の専制支配を緩和した男弟大…

天皇の誕生(連載第32回)

第七章ノ二 「昆支朝」の継承と発展・(続) (4)列島征服事業 倭の広開土王・欽明 欽明天皇の和風諡号「天国排開広庭」(あめくにおしはらきひろにわ)とは「天下を押し開き、領土を広げた」との趣旨で、これはまさに倭の広開土王そのものである。 ただ高…

天皇の誕生(連載第31回)

第七章 「昆支朝」の継承と発展 (3)辛亥の変と獲加多支鹵大王(続き) 欽明=獲加多支鹵大王 前回まで見てきたように、正史上継体天皇=男弟大王の没年や陵墓もあいまいにされているのは、おそらく『書紀』の作為ではなく、まさに欽明自身が二人の異母兄…

天皇の誕生(連載第30回)

第七章 「昆支朝」の継承と発展 (3)辛亥の変と獲加多支鹵大王 男弟大王の死 男弟大王の治世期間は約30年に及んだ父・昆支大王のそれに及ばなかったが、やはり20年かそれ以上の長期にわたった。ただ、男弟大王の死」はそれ自体が二つの大きな論争点の…

天皇の誕生(連載第29回)

第七章 「昆支朝」の継承と発展 (2)出雲平定と磐井戦争 イトモ征服と石上神宮 第四章で見たように、出雲西部では本来の「出雲」である杵築大社(後の出雲大社)を拠点とする植民都市イトモの伊都勢力が5世紀後半には繁栄期を迎え、母体である九州糸島半…

天皇の誕生(連載第28回)

第七章 「昆支朝」の発展と継承 (1)男弟大王への継承(続き) 「継体」の分身像 本章の冒頭で指摘したように、『書紀』が応神天皇の後継者としている「仁徳天皇」については架空説が根強いが、では「仁徳」は一からでっち上げの架空人物かと言うと必ずし…

天皇の誕生(連載第27回)

第七章 「昆支朝」の継承と発展『記紀』では、「昆支朝」の成立を完全に秘匿したうえ、開祖・昆支大王から三代の大王の分身像を多数設定して架空の天皇系譜を作出している。しかし、およそ90年にわたった「昆支朝」三代の時代こそ、畿内王権が全土的「朝廷…

天皇の誕生(連載第26回)

第六章 「昆支朝」の成立 (5)昆支大王の宗教改革 崇神紀の祭祀記事 昆支大王の事績の中でも永続性を保った最大級のものが、宗教改革であった。それを抽出する手がかりは崇神紀に埋め込まれている崇神6年から7年にかけての祭祀記事である。この記事はな…

天皇の誕生(連載第25回)

第六章 「昆支朝」の成立 (4)昆支大王と倭の自立化 領域拡大 やや皮肉なことであるが、百済王子であった昆支が倭王に就いてまず着手したのは、475年の王都陥落以来、亡国の危機にあった百済から倭を自立化させ、内発的に発展させることであった。そこ…

天皇の誕生(連載第24回)

第六章 「昆支朝」の成立 (3)旧王家の運命 処刑と潜伏 ここで、昆支のクーデター後の旧加耶系王家の運命について考えてみよう。とはいえ、それを明確に跡づけられるような史料は何も残されていない。ただ、『書紀』の顕宗天皇紀に収められた次のような「…

天皇の誕生(連載第23回)

第六章 「昆支朝」の成立 (2)「昆支朝」成立の経緯 倭国側の事情 百済王子・昆支が477年頃、倭の畿内王権の王に即位して開いたのが「昆支朝」である。前節で見たように、昆支=応神であるならばあるいは「応神朝」と呼ぶこともできるが、「応神」はあ…

天皇の誕生(連載第22回)

第六章 「昆支朝」の成立 応神天皇=八幡神は平安時代に入っても「皇大神」「我が朝の大祖」などとして皇室から崇拝されており、『日本書紀』の叙述上も応神紀からは徐々に史実性が増すと考えられている。この応神天皇とは何者であり、どんな王朝の「大祖」…

天皇の誕生(連載第21回)

第五章 「倭の五王」の新解釈 (4)「武」の解明 「武」の独自性 『宋書』によると、興が死去した後、その弟・武が立ち、宋にとっても王朝最末期の478年(その前年の遣使記録もあるが詳細不明)に遣使してきたことが記録される。この「五王」最後を飾る…

天皇の誕生(連載第20回)

第五章 「倭の五王」の新解釈 (2)「珍」と「済」の関係 「続柄不明」問題 『宋書』によると、珍の後、443年に倭国王・済が遣使してきた。ところが、同書は前の珍と済との続柄を記していない。同書は原則として前後の続柄を明記している五王の中で、珍…

天皇の誕生(連載第19回)

第五章 「倭の五王」の新解釈5世紀に入って、中国南朝宋に連続的に遣使したことが記される「倭の五王」。讃・珍・済・興・武と中国式一字名でイニシャルのように記された五王は、果たして一連の「倭国王」であったのであろうか。(1)「讃」と「珍」の遣使…

天皇の誕生(連載第18回)

第四章 伊都勢力とイヅモ (4)出雲東部勢力の興隆 意宇王権とその由来 正史の中でいわゆる出雲として描かれたきた勢力―言わば大国主のイヅモ―は、前回まで見てきたイトモの伊都勢力とは異なり、東側の意宇[おう]と呼ばれた地域を拠点とする勢力であった…

天皇の誕生(連載第17回)

第四章 伊都勢力とイヅモ (3)イソタケルと出雲西部勢力 植民市イトモ 前回見た伊都勢力の移動ルートの中で、本章の主題にとって最も重要なのが「日本海ルート」である。 元来、伊都国の勢力圏は九州北部沿岸地域を通って、本州側の長門付近まで及んでいた…

天皇の誕生(連載第16回)

第四章 伊都勢力とイヅモ (2)伊都勢力の由来と大移動(続き) 伊都勢力の東遷・拡散 ここでイソタケルについて紹介する『書紀』の別伝第四書にもう一度立ち戻ってみると、イソタケルは持ち帰った樹木の種を筑紫から始めて大八洲国に播き殖やして、一つ残…

天皇の誕生(連載第15回)

第四章 伊都勢力とイヅモ (2)伊都勢力の由来と大移動 伊都勢力の由来〈1〉 イソタケルを紹介する『書紀』の神代編第八段別伝第四書はイソタケルについて次のような説明を与えている。すなわち― はじめ五十猛神が天降るときに、たくさんの樹木の種を持参…

天皇の誕生(連載第14回)

第四章 伊都勢力とイヅモ『記紀』神代編の神話は、天孫族と出雲族を二大基軸として展開されているが、それほどに枢要なイヅモの来歴とは何か。また有名な「出雲の国譲り」には何らかの史実が投影されているのであろうか。ここに新説の可能性を探る。(1)イ…

天皇の誕生(連載第13回)

第三章 4世紀の倭 (5)百済との修好 百済の接近 先述したように、百済は4世紀後葉には高句麗をも抑えて軍事的優位に立っていたが、広開土王陵碑文では396年(『三国史記』では395年)に高句麗に惨敗し、半島の覇権が再び高句麗に移る。百済が倭に…

天皇の誕生(連載第12回)

第三章 4世紀の倭 (4)伊都国の服属 独立から服属へ 畿内加耶系王権が朝鮮半島への玄関口を確保するためには糸島半島を支配下におさめる必要があったが、ここには古い歴史を持つ強国・伊都国が所在していた。そこで、同国を服属させることが畿内王権にと…

天皇の誕生(連載第11回)

第三章 4世紀の倭 (3)畿内加耶系王権 王権の成立 西日本各地に拡散していった加耶系渡来勢力の中でも、畿内に定住したものがやがて王権を樹立し、この畿内加耶系王権が最も有力化した。 この王権の成立時期は、ニニギに象徴化される渡来第一世代から最低…

天皇の誕生(連載第10回)

第三章 4世紀の倭 (2)加耶人の世紀 加耶人の集団渡来 前回見た邪馬台国の解体は、朝鮮半島からの相当な規模の渡来の波が発生するチャンスとなった。その渡来の中心となったと考えられるのが、再三述べてきた加耶地方からの移民集団である。 先述したよう…