2018-02-01から1ヶ月間の記事一覧
跋 日本の天皇制のスローガンは、「万世一系」である。しかし、これは既にして虚構的なイデオロギーである。少なくとも、天皇の称号と制度が整備された天武天皇時代以降に絞っても、実質的に王朝交代とみなしてよい断絶が二度あった。 一度目は、奈良時代末…
四 神道の軍事化 戦国時代と神職武家 戦国時代に入ると、神職武家もいやおうなく戦国動乱に巻き込まれていく。織田氏神職出自説を採るなら、神職武家として最も強大化したのは織田氏だったことになるが、これは前回も述べたとおり、仮説的な域を出ていない。…
◇熊沢大然(生没年調査中)/寛道(1889年‐1966年) 西軍南帝の消息情報が絶えて以来、南朝後統、中でも正嫡の小倉宮家はもはや絶家したものと思われていたが、それから400年近くも経た明治時代になって、小倉宮家末裔を称する一族が現れた。それ…
四 神道の軍事化 神職武家の誕生 武家支配体制が確立されると、有力神社の神職一族も次第に武装化し、武家化していく傾向を生じた。そうした神官武家の代表格として、前回見た熊野に関連の深い藤白鈴木氏がある。鈴木氏は神道の祖とも言える物部氏正統の古代…
八 西軍南帝(1454年‐?) 長禄の変による後南朝の瓦解は、お家再興を目指していた赤松氏遺臣隊の勇猛かつ巧みな作戦によるところが大きい。彼らは10年以上をかけて神璽が奥吉野にあることを突き止めた幕府に掛け合い、決死の神璽奪還作戦を自ら請け負…
六 南天皇(1430年?‐1458年) クーデターとしては失敗に終わった禁闕の変により神璽の奪取に成功したことで、南朝復興勢力は朝廷としての最重要の印は手にした。よって、「後南朝」と呼び得る実態を備えたのはこの時であり、以後、幕府側に神璽を奪…