歴史の余白

内外の埋もれた歴史を再発見するブログ

〆仏教と政治―史的総覧

仏教と政治―史的総覧(連載最終回)

十二 現代政治と仏教 宗教対立の中の仏教② 現代における上座部仏教と他宗教との対立紛争の事例として、東南アジアの上座部仏教系の二大国であるタイとミャンマーでは少数派イスラーム教徒との対立紛争が生じている。 このうち、タイでもマレーシアとの国境に…

仏教と政治―史的総覧(連載第36回)

十二 現代政治と仏教 宗教対立の中の仏教① 仏教が政治的な優越宗教として他宗教との間で深刻な対立紛争を引き起こす例は多くないが、戒律が厳格で保守的な上座部仏教系においてはいくつかの事例が見られる。中でも、スリランカ内戦は最も代表的かつ深刻な一…

仏教と政治―史的総覧(連載第35回)

十二 現代政治と仏教 日本の「議会政仏教」 日本では明治政府による廃仏毀釈政策の結果、中世以来の伝統仏教勢力が急速に閉塞することとなり、仏教は神道に劣後する二級宗教に転落した。その一方で、昭和に入ると、伝統仏教勢力の外部で新興の仏教団体を創立…

仏教と政治―史的総覧(連載第34回)

十一 近代国家と仏教 インドの仏教復興運動 発祥地インドでは伝統的なバラモン→ヒンドゥー教に押し返されて極小宗派となった仏教であるが、近現代になって、反カースト差別の政治運動と結びつく形で部分的な復興の動きがある。 その創始者ビームラーオ・アン…

仏教と政治―史的総覧(連載第33回)

十一 近代国家と仏教 チベット「自治」と仏教 チベット仏教拠点のチベットの近代は、それぞれ革命によって樹立された中華民国にソ連という新興国、そして英国という大国による覇権争いに巻き込まれる辛酸を舐めた。 しかし、その間、ダライ・ラマを元首とす…

仏教と政治―史的総覧(連載第32回)

十一 近代国家と仏教 社会主義体制と仏教 近代になると、仏教も社会主義体制という新しい政治国家と直面する段階を迎えた。その最初の好例は、世界で二番目―アジアでは最初の―社会主義国家となったモンゴルである。 中世にチベット仏教国として確立されたモ…

仏教と政治―史的総覧(連載第31回)

十 東南アジア諸王朝と仏教 タイ系諸王朝と仏教政治 現在、東南アジアで仏教と政治の関係が最も密で、上座部系仏教政治の「大国」と言えるのはタイであるが、元来は精霊信仰が盛んだったタイ族の仏教受容過程については記録が少なく、不明な点が多い。 少な…

仏教と政治―史的総覧(連載第30回)

十 東南アジア諸王朝と仏教 ビルマ諸王朝と仏教の定着 ビルマ(ミャンマー)は最大勢力のビルマ族をはじめ多民族がひしめく地域であるが、宗教的には早くからほぼ仏教で統一されていた。ビルマ最初の統一的な王朝は、現代ミャンマーでは少数民族であるモン族…

仏教と政治―史的総覧(連載第29回)

十 東南アジア諸王朝と仏教 カンボジア王朝と仏教の変遷 今日の東南アジアで仏教徒の割合が特に高いのはカンボジア、タイ、ミャンマーの三国で、いずれも九割を越える圧倒的な仏教優勢国である。その仏教はいずれも上座部系で共通している。ただ、仏教伝来の…

仏教と政治―史的総覧(連載第28回)

九 モンゴルの崇仏諸王朝 清朝支配下モンゴルと仏教 モンゴル本国に当たるモンゴル帝国はオイラト帝国に先立って17世紀前半には衰微した。1603年に即位したリンダン・ハーンは帝国再建を目指して精力的に動いたが、その強権支配が諸部族から反発を招く…

仏教と政治―史的総覧(連載第27回)

九 モンゴルの崇仏諸王朝 オイラト王朝とチベット仏教 元朝撤退後のモンゴルにあって、最も熱心なチベット仏教徒となったのはモンゴル族の亜族とも言えるオイラト族だった。かれらはモンゴル西部を本拠地とし、元はテュルク系とも言われるが、チンギス・ハー…

仏教と政治―史的総覧(連載第26回)

九 モンゴルの崇仏諸王朝 モンゴル帝国と仏教 モンゴル人の原宗教はアニミズムだったが、強大化し、中国大陸を支配するうえで、中国的宗教を利用する実益を認識したようである。そこで、初めは先行のモンゴル系大国・金の治下で隆盛化した道教を実質的な国教…

仏教と政治―史的総覧(連載第25回)

八 チベット神権政治 ダライ・ラマとシャブドゥン チベットでは、モンゴル系オイラート族グーシ・ハーンが樹立した王朝(グーシ・ハーン朝)の下、ゲルク派最高指導者ダライ・ラマの地位が確立され、ダライ・ラマを事実上の君主として戴くガンデンポタンがチ…

仏教と政治―史的総覧(連載第24回)

八 チベット神権政治 神権体制の創始 チベットで確立される独特の神権体制の起源は、吐蕃王朝滅亡後、13世紀にモンゴルの侵攻を受けたことにあった。当時のチベットでは、分裂状況の中、有力氏族ごとの仏教系宗派集団が形成される傾向にあった。 そうした…

仏教と政治―史的総覧(連載第23回)

八 チベット神権政治 吐蕃王朝と仏教 今日大乗仏教系で中国経由の北伝仏教と二大系統を成すチベット仏教の始まりは7世紀の吐蕃王朝の成立を契機とする。初代国王ソンツェン・ガンポは当時の地政学上、南で接するネパール(リッチャヴィ朝)と東で接する唐の…

仏教と政治―史的総覧(連載第22回)

七 日本仏教と政治 仏教統制から廃仏毀釈へ 鎌倉新仏教はその後、室町時代にも引き継がれ、特に臨済宗は幕府の保護を受け、中国の制にならった禅宗五山の制度も整備された。政教の距離はより縮まり、臨済宗僧侶の夢窓疎石やその門弟たちの中には、将軍や鎌倉…

仏教と政治―史的総覧(連載第21回)

七 日本仏教と政治 武家仏教と民衆仏教 平安時代末期の平安ではなくなった時代、平安貴族らはこぞって浄土教に走り、来世での冥福を願ったが、現世での幸福はかなわず、かれらが権力保持のために依存するようになった武士層の増長を抑えることはできなかった…

仏教と政治―史的総覧(連載第20回)

七 日本仏教と政治 鎮護仏教から救済仏教へ 6世紀に百済経由で日本に伝来した仏教は7世紀の飛鳥時代までに深く定着し、国家の保護を受けることに成功した。律令制の整備を経て、8世紀初頭に開かれた奈良朝では仏教は護国の精神的支柱となり、鎮護国家思想…

仏教と政治―史的総覧(連載第19回)

六 中国周辺国家と仏教 日本への伝来 日本への仏教伝来は、中国から直接ではなしに、百済を通じた間接的な伝来であった。当時、日本は大陸中国への朝貢が途絶えた状態であり、中国からの直接の伝来ルートがなかった一方で、百済とは極めて親密な関係にあった…

仏教と政治―史的総覧(連載第18回)

六 中国周辺国家と仏教 朝鮮への伝来 中国の東で接する朝鮮半島への仏教の伝播も比較的早くに起こっている。中でも今日の中国東北部までまたがる広域な領土を持った高句麗である。高句麗には、小獣林王時代の372年、当時五胡十六国中最有力だった前秦の皇…

仏教と政治―史的総覧(連載第17回)

六 中国周辺国家と仏教 ベトナム諸王朝と仏教 中国で独自の発展を遂げた仏教―中国仏教―は、中国を新たな起点として周辺国へ伝播していくが、その最初の地は南部で接するベトナム(ただし、カンボジアとの結びつきが強い中・南部は除く)であった。 もっとも…

仏教と政治―史的総覧(連載第16回)

五 中国王朝と仏教 仏教の完成と衰退 道教を国教としたため、仏教の地位が後退した唐の時代ではあったが、末期を除いて仏教が弾圧されることはなく、唐の時代は中国仏教の完成期と言ってよい時代であった。ただし、南北朝時代に芽生えた末法思想の系譜を引く…

仏教と政治―史的総覧(連載第15回)

五 中国王朝と仏教 廃仏と崇仏の狭間で 南北朝時代から五代十国時代にかけての中国仏教の特徴として、為政者による廃仏と崇仏の間を揺れ動いたことが挙げられる。この時期における大規模な廃仏は四度あるが、その初例は北朝北魏の3代皇帝太武帝による446…

仏教と政治―史的総覧(連載第14回)

五 中国王朝と仏教 仏教の伝来と受容 後代、東アジア全域への仏教伝来の拠点となる中国の仏教は、シルクロード経由で西域から伝来したものであることは確実であるが、伝来の正確な日付までは確定していない。考古学的な証拠によると、後漢時代の西暦1世紀代…

仏教と政治―史的総覧(連載第13回)

四 中央アジア諸王朝と仏教 西域諸国と北伝仏教 今日、日本をはじめ、東アジアで主流を成す大乗仏教はガンダーラに発し、北方ルートで中国を経て伝来したことから、北伝仏教とも呼ばれるが、その伝来ルートについて確実な定説は見られない。 大雑把には、ク…

仏教と政治―史的総覧(連載第12回)

四 中央アジア諸王朝と仏教 クシャーナ朝と大乗仏教 インド‐グリーク朝が衰退・分裂した後に、その地で台頭してきたのは、イラン系遊牧諸民族であった。初めはパルティアであり、紀元後間もなく、当地に残るギリシャ人勢力残党を駆逐したのは、かれらであっ…

仏教と政治―史的総覧(連載第11回)

四 中央アジア諸王朝と仏教 インド‐グリーク朝と仏教 仏教創始者・釈迦の出身地は北インドであったから、仏教がさらに北方へ伝播されることは自然な流れであった。その点、マウリヤ朝のアショーカ王は今日のアフガニスタンを中心とするガンダーラの征服を通…

仏教と政治―史的総覧(連載第10回)

三 スリランカの仏教化 植民地化と仏教の消長 スリランカ仏教は、16世紀のポルトガル人の到来により、大きな転機を迎える。ポルトガルは当時、西海岸で有力だったコーッテ王国や北部のジャフナ王国への攻勢を強め、植民都市コロンボを中心にスリランカ支配…

仏教と政治―史的総覧(連載第9回)

三 スリランカの仏教化 仏教王朝の確立 仏教を受容したアヌラーダプラ王朝は古く前6世紀代におそらくはベンガル地方から移住してきた集団によって樹立され、前回見たマヒンダ僧正の渡来・布教によって仏教を受け入れて以降は、ぶれることなく、南伝仏教の中…

仏教と政治―史的総覧(連載第8回)

三 スリランカの仏教化 マヒンダの渡来 今日、インドを軸に地政学上の南アジアを構成するネパール、ブータン、パキスタン、バングラデシュ、スリランカ、モルディブの7か国のうち、仏教徒が多数を占めるのは南端の島国スリランカと北辺の内陸国ブータンに限…