歴史の余白

内外の埋もれた歴史を再発見するブログ

松平徳川女人列伝

松平徳川女人列伝(連載第6回)

九 千姫(1597年‐1666年) 正室が形式上の妻にすぎず、子がないことも少なくなかった歴代徳川将軍の中にあって、2代将軍秀忠と正室の江(崇源院)の間には、五女二男があった。そのうち、長子にして長女が千姫である。生年は豊臣時代の慶長二年だが…

松平徳川女人列伝(連載第5回)

八 崇源院(1573年‐1626年) 江の名のほうが知られる崇源院は徳川2代将軍・秀忠の継室にして、3代将軍家光の生母でもある。出自は浅井氏だが、母を介して織田信長の姪にも当たる。徳川歴代将軍の正室として京都の公家・皇族息女を娶る慣習が確立す…

松平徳川女人列伝(連載第4回)

六 雲光院(1555年‐1637年)/英勝院(1578年‐1642年) 徳川家康の数多い側室の中には、子を産むよりも、奥向きの実務で手腕を見せた人もいる。その代表格は、雲光院である。阿茶局とも称されるが、同じく側室の茶阿局と紛らわしいため、出…

松平徳川女人列伝(連載第3回)

四 長勝院(1548年‐1620年)/西郷局(1552年?‐1589年) 一般的に、戦国・近世大名の側室は、家門の継承という大名家存続の条件を保証するために、正室の負担を補う目的から積極的に利用されていたが、とりわけ松平徳川家においては側室の…

松平徳川女人列伝(連載第2回)

二 築山殿(?‐1579年)/徳姫(1559年‐1636年) 松平徳川女人の中でも、とりわけ悲劇的な最期を遂げたのが、徳川家康の最初の正室だった築山殿である。本名も生年も不詳という戦国時代の女性にはありがちな情報不足であるが、父は今川一門の関…

松平徳川女人列伝(連載第1回)

序 日本の近世で最も持続的な成功を収めた一族と言えば、松平=徳川氏であろう。三河の山間の土豪から出たほぼ無名の一族が最終的に天下を治める最高執権者にのし上がるに当たっては、歴代当主の軍事的・政治的な手腕が寄与したことは間違いないが、一族が断…