歴史の余白

内外の埋もれた歴史を再発見するブログ

2019-01-01から1年間の記事一覧

クルド人の軌跡(連載第2回)

一 クルド人の形成 民族揺籃期 初回でも見たように、クルド人の発祥は謎に包まれているが、クルド人自身の伝承によれば、クルド人はメディア人の末裔であるとされる。メディア人はイラン北西部を拠点とし、紀元前8世紀から同6世紀にかけて強力な王国を形成…

松平徳川女人列伝(連載第3回)

四 長勝院(1548年‐1620年)/西郷局(1552年?‐1589年) 一般的に、戦国・近世大名の側室は、家門の継承という大名家存続の条件を保証するために、正室の負担を補う目的から積極的に利用されていたが、とりわけ松平徳川家においては側室の…

ユダヤ人の誕生(連載第4回)

Ⅰ ユダヤ民族の原郷 (3)聖書カナン人と原カナン人 前回、ユダヤ民族は「カルデアのウル」から約束の地カナンへ移住してきたのではなく、初めからカナンに居住していたと述べた。この考えによれば、ユダヤ民族にとってカナンは神から約束された異郷ではな…

ノルマンディー地方史話(連載第11回)

第11話 「ノルマン人征服」後のノルマンディー ノルマンディー公ギヨーム2世が力づくでイングランドを征服し、ノルマン朝イングランド国王ウィリアム1世として即位すると、ノルマンディーの位置づけはいささか微妙になった。初代ロロ以来の本拠地ノルマ…

外様小藩政治経済史(連載第11回)

三 狭山藩の場合 (2)経済情勢 狭山藩の本拠が置かれた河内狭山には、日本最古の灌漑用人口池とされる狭山池が所在している。その開削時期には諸説あるが、遺構の検証からは7世紀の飛鳥時代まで遡ることは確実と見られている。 元来、狭山地域は『日本書…

シチリアとマルタ―言語の交差点(連載第4回)

三 フェニキア人の植民とマルタ語 フェニキア人の入植活動は地中海域全般に及んだから、マルタ島もその例外ではなかった。紀元前8世紀頃、フェニキア人の最初期の拠点であった現レバノンのティルスから最初の集団的な入植があったと見られ、フェニキア人の…

クルド人の軌跡(連載第1回)

一 クルド人の形成 謎に包まれた発祥 クルド人は、国家を持たない世界最大民族集団(総人口約3000万人)とも呼ばれるが、それは近現代において、ごく短期間を除き、独自の国民国家を形成することがないまま、トルコ、シリア、イラク、イランを中心とした…

松平徳川女人列伝(連載第2回)

二 築山殿(?‐1579年)/徳姫(1559年‐1636年) 松平徳川女人の中でも、とりわけ悲劇的な最期を遂げたのが、徳川家康の最初の正室だった築山殿である。本名も生年も不詳という戦国時代の女性にはありがちな情報不足であるが、父は今川一門の関…

ノルマンディー地方史話(連載第10回)

第10話 「ノルマン様式」の不思議 「ノルマン様式」とは、建築史の用語で、その名のとおり、ノルマン人の城塞や教会の建築に特有の様式を指している。しかし、興味深いことに、「ノルマン様式」は、1066年のノルマンディー公ギヨーム2世によるイング…

シチリアとマルタ―言語の交差点(連載第3回)

二 フェニキア人・ギリシャ人の植民とシチリア語 シチリアとマルタにおける本格的な文明時代の始まりは、フェニキア人・ギリシャ人の植民活動によってもたらされる。特にシチリアには紀元前8世紀頃から両民族の入植が開始されるが、入植時期はフェニキア人…

外様小藩政治経済史(連載第10回)

三 狭山藩の場合 (1)立藩経緯 狭山藩は、豊臣秀吉に討たれるまで関東地方の実質的な支配者であった後北条氏(以下では、単に北条氏という)の子孫によって河内に立藩された小藩である。西国出身ながら関東地方を長く拠点としていた戦国大名北条氏が関西に…

ユダヤ人の誕生(連載第3回)

Ⅰ ユダヤ民族の原郷 (2)アブラハムの出身地 旧約では、民族始祖アブラハムの出身地を「カルデアのウル」とする。このウルとは、三代にわたってシュメール人の都市王国が栄えたメソポタミア文明圏の由緒ある故地ウルと同一視されている。 アブラハム(旧名…

ユダヤ人の誕生(連載第2回)

Ⅰ ユダヤ民族の原郷 (1)ユダヤ人とユダヤ民族 「ユダヤ人」という語は、複合的な用語である。そこには、宗教としてのユダヤ教を信じ実践する者、要するに「ユダヤ教徒」という含意とともに、ユダヤ教を創出した民族としてのユダヤ人という含意が二重に込…

シチリアとマルタ―言語の交差点(連載第2回)

一 シチリアとマルタの先史/最初期言語 先史時代とは、最も端的に定義づければ、文字が発明される以前の時代をいうから、文字化されない口頭言語であった先史言語を特定・再構することは不可能であるが、推定することはできなくない。シチリアとマルタの場…

ユダヤ人の誕生(連載第1回)

序論 民族としてのユダヤ人は、おそらく日本人と並んでその出自が神話に満ちた民族である。それは日本人の出自が『記紀』に見える日本神話に依拠していることと似て、ユダヤ人の出自がユダヤ教聖典である『旧約聖書』(以下「旧約」と略す)に依拠しているこ…

松平徳川女人列伝(連載第1回)

序 日本の近世で最も持続的な成功を収めた一族と言えば、松平=徳川氏であろう。三河の山間の土豪から出たほぼ無名の一族が最終的に天下を治める最高執権者にのし上がるに当たっては、歴代当主の軍事的・政治的な手腕が寄与したことは間違いないが、一族が断…

ノルマンディー地方史話(連載第9回)

第9話 バイユー・タピストリー ノルマンディー公国のギヨーム2世によるイングランド侵攻・征服は英国にとどまらず、欧州の歴史を変える大事変であったわりに、映画やドラマなどの題材にされることは意外に少ない。比較的最近では、2015年に『ギヨーム―…

外様小藩政治経済史(連載第9回)

二 谷田部藩の場合 (4)幕末廃藩 谷田部藩は経済財政面では恒常的な困難に直面しながらも、政治的には大きな家中騒動もなく、幕末まで世系をつないでいくが、実際のところ、5代藩主興虎は京都の公家姉小路家から婿養子に入りながら廃嫡された興誠の子であ…

ノルマンディー地方史話(連載第8回)

第8話 庶子公から征服王へ ロベール悪魔公がエルサレム巡礼からの帰途死去すると、生前に後継指名されていた長男ギヨーム2世が新しいノルマンディー公に即位したが、この時わずか8歳ほどの子どもであった。そのうえ、両親は正式に婚姻していなかったから…

シチリアとマルタ―言語の交差点(連載第1回)

序説 シチリアとマルタは、ともに地中海の景勝地として近距離にあるが、歴史的にも連関性の強い島嶼である。とはいえ、現在シチリアはイタリア領の離島自治州であるのに対し、マルタは人口わずか40万人ながら独立国であるというように、地政学的には相違が…

外様小藩政治経済史(連載第8回)

二 谷田部藩の場合 (3)社会動向 谷田部藩は、細川氏の分家が入部して築いた経緯から、地元民にとって領主は外来者であった。その点、中世以来の在地領主で立藩にも地元農民が深く関わった苗木藩のような小藩とは根本的に異なっていた。 藩主家も「名門」…

ノルマンディー地方史話(連載第7回)

第7話 愛妾アルレット・ド・ファレーズ ノルマンディー公ロベール1世「悪魔公」は、どういうわけか正式の妃を持たなかった。持とうとしなかったのか持てなかったのかは判然としない。とはいえ、女性に無関心だったわけではなさそうで、アルレットなる出自…

外様小藩政治経済史(連載第7回)

二 谷田部藩の場合(2)経済情勢 小藩の領地は当然ながら狭隘なため、一様に財政的に苦境になるが、谷田部藩の場合は格別であった。前回も見たように、谷田部藩領は陣屋の置かれた常陸側の谷田部と下野側の茂木とに分かれていたところ、言わば「藩都」の谷…

ノルマンディー地方史話(連載第6回)

第6話 「悪魔公」時代と海外冒険 実兄暗殺の疑惑で始まった「悪魔公」ロベール1世の治世は、不安定なものとなった。とりわけ、教会との関係悪化が問題であった。この時代のノルマンディーの有力聖職者は公家の身内で固められていたにもかかわらず、ロベー…

外様小藩政治経済史(連載第6回)

二 谷田部藩の場合(1)立藩経緯 谷田部藩は、初代藩主細川興元が初め徳川秀忠から下野国芳賀郡茂木に1万石を安堵された後、常陸国筑波・河内両郡に6000石余りを加増され、拠点を常陸に移したことで成立した。興元は後に熊本藩主家となる肥後細川氏初…

ノルマンディー地方史話(連載第5回)

第5話 「善良公」から「悪魔公」へ 50年以上在位し、ノルマンディー公国の土台を確立したリシャール1世が996年に世を去ると、同名の息子リシャール2世が後を継いだ。彼は1世の後妻で森林監督官の娘グンノールとの間に生まれた子であった。そのため…

外様小藩政治経済史(連載第5回)

一 苗木藩の場合 (4)幕末廃藩 幕末動乱は苗木藩のような最小藩にも押し寄せてきた。特に最後の藩主となった12代遠山友禄は二度にわたり若年寄を務めるなど、譜代格として歴代藩主中最も幕府で重用された。幕末動乱の中で、外様小藩主にも出世の道が拓か…

ノルマンディー地方史話(連載第4回)

第4話 モン・サン‐ミシェル修道院 モン・サン‐ミシェルは元モン・トームと呼ばれたおそらくは古代の墓地に由来する霊場であったが、6世紀という中世初期からキリスト教の修道士や隠者にとっての霊場として発展し始めたようである。 この地は709年の津波…

外様小藩政治経済史(連載第4回)

一 苗木藩の場合(3)社会動向 小藩を絵に描いたような苗木藩が終始財政難に苦しみながらも明治維新まで存続していった秘訣として、廃藩期を除けば、藩内社会の安定性が保たれていたことが挙げられる。封建統治の安定性の鍵は、農民が大多数を占める領民と…

ノルマンディー地方史話(連載第3回)

第3話 ノルマンディー公国の発展 北欧バイキングに由来するノルマン人の封建的支配地としてのノルマンディーは二代目ギヨーム2世の時代までに明白に形成されていたが、前回見たように、ギヨームがフランドル伯の計略にかかって横死したこともあり、封建領…