歴史の余白

内外の埋もれた歴史を再発見するブログ

〆弾左衛門矢野氏列記

弾左衛門矢野氏列記(連載最終回)

九 (続)矢野弾左衛門集保=弾直樹 最後の弾左衛門集保=弾直樹は幕末・明治中期まで生きたことで歴代では最も事績が明らかで、肖像写真が残されている唯一の弾左衛門であるという点においても、最後の将軍・徳川慶喜に重なるところがある。 前回も触れたよ…

弾左衛門矢野氏列記(連載第9回)

九 矢野弾左衛門集保=弾直樹(1823年‐1889年) 前回見たように、第11代(または第12代)弾左衛門集司が幕府の命により事実上の辞職に追い込まれ、復職運動も不首尾に終わると、次の弾左衛門を選定する必要が生じた。周司に実子なく、摂津の寺田…

弾左衛門矢野氏列記(連載第8回)

八 矢野弾左衛門集司=弾譲(1815年‐1872年) 第10代(または第11代)弾左衛門集民が実子なく夭折すると、弾左衛門は再び家の継承危機にさらされる。わざわざ広島から養子で迎えた当主の急死であったから、事は深刻であった。文政十一年(182…

弾左衛門矢野氏列記(連載第7回)

七 矢野弾左衛門集林(1780年‐1804年)/集和(1792年‐1821年)/集民(1808年‐1828年) 第7代(または第8代)弾左衛門集囿が13年に及ぶ隠居後、天明八年(1788年)に死去した跡を継いだ第6代(または第7代)の集益は、父…

矢野弾左衛門列記(連載第6回)

六 矢野弾左衛門集囿(1722年‐1788年)/集益(1746年‐1790年) 第5代(または第6代)弾左衛門集村は39年間在職した後、たびたび奉行所に願い出て息子の織右衛門に職を譲り、隠居することを許された。彼が生前の隠居にこだわったのは、…

弾左衛門矢野氏列記(連載第5回)

五 矢野弾左衛門集村(1698年‐1758年) 4代目弾左衛門集久が死去した後、公式には孫の集村(幼名・浅之介)がわずか12歳で襲名したことになっているが、浅之介には父・吉次郎がいた。吉次郎は正式の襲名前に死亡したものと見られているが、死亡年…

弾左衛門矢野氏列記(連載第4回)

四 矢野弾左衛門集久(?~1709年) 4代目弾左衛門集久は幼名を介次郎といい、祖父や父と同様に次男のようである。4代目集久は、曾祖父に当たる初代から三代にわたる時代に整備された弾左衛門制度の基礎の上に、歴代最長の40年間在職し、後述のよう…

弾左衛門矢野氏列記(連載第3回)

二 矢野弾左衛門集季(?~1640年) 弾左衛門を先代から襲名した最初の世代となる2代目弾左衛門は幼名を小次郎といい、次男と見られる。その点、初代には関ヶ原の戦い当時15歳の小太郎という長男と見られる一子があって、天然痘に感染したが、白山神…

弾左衛門矢野氏列記(連載第2回)

一 弾左衛門矢野集房(?~1617年) 弾左衛門初代となる矢野集房(または集方)は、江戸幕府開祖・徳川家康と同時代をほぼ並行的に生きた人物であるが、その実像は弾左衛門歴代の中で最も不確かである。その点、徳川=松平氏始祖とされる松平親氏と同様…

弾左衛門矢野氏列記(連載第1回)

序 弾左衛門矢野氏は、江戸時代、士農工商四身分の外にあった下層民(えた/ひにん)の頭領として、刑罰の執行役をはじめ、えた/ひにんに任された業務を統括した幕府役人であった。弾左衛門はその職名であり、矢野氏はその職を代々襲名・世襲し、江戸時代の…