歴史の余白

内外の埋もれた歴史を再発見するブログ

2016-02-01から1ヶ月間の記事一覧

アフガニスタン―引き裂かれた近代史(15)

五 9・11事件とその後 9・11事件と対米戦争 内戦中は米国からも支援を受けたムジャーヒディーンの外国人義勇戦士から出たビン・ラーディンを指導者に戴くアル・カーイダが過激な反米活動に転じた契機は、91年のイラク戦争(湾岸戦争)で、サウジアラ…

私家版足利公方実紀(連載第18回)

二十二 足利晴氏(1508年‐1560年)/義氏(1541年‐1583年) 古河公方体制終末期の4代足利晴氏・5代義氏父子時代(1535年~83年)は、室町幕府ではおおむね12代義晴から最後の15代義昭にかけての時代と重なっている。すでに見た…

アフガニスタン―引き裂かれた近代史(14)

[E:four] イスラーム主義の台頭 [E:night]ターリバーンの支配 ターリバーンの起源については半ば伝説化されており、詳細は不明であるが、ムジャーヒディーンから派生してきたことは間違いない。その初代最高指導者ムハンマド・オマルはパシュトゥン系元ムジ…

私家版足利公方実紀(連載第17回)

二十一 足利義昭(1537年‐1597年) 室町幕府最後の将軍となった足利義昭は12代将軍義晴の次男として生まれ、幼少の時に興福寺の僧となったが、兄の13代将軍義輝が永禄の変で三好三人衆らに暗殺され、三人衆が擁立した14代義栄も一度も入京でき…

アフガニスタン―引き裂かれた近代史(13)

[E:four] イスラーム主義の台頭 [E:night]軍閥連合政権の破綻 1992年4月に社会主義のPDPA政権が具体的な受け皿のないまま崩壊すると、イスラーム系反政府武装勢力ムジャーヒディーンが首都に殺到し、無政府騒乱状態に陥った。前述したように、同勢力は…

私家版足利公方実紀(連載第16回)

二十 足利義維(1509年‐1573年)/義栄(1538年‐1568年) 足利義維〔よしつな〕は11代将軍義澄の次男である。年齢上は長男であったが、何らかの事情で異母弟の義晴が嫡男たる長男とされたため、当初は将軍候補から外され、京都を出奔した…

日本語史異説―悲しき言語(連載第9回)

四 倭語の形成② 日本語に北方的な要素をもたらした新たな渡来勢力は、文化的には古墳文化を持ち込んだ勢力と一致する。この勢力は人類学的な形質上は弥生時代に農耕をもたらした先行渡来勢力と大差なかったと考えられるが、言語的には南方系の前者に対して、…

アフガニスタン―引き裂かれた近代史(12)

三 社会主義革命と内戦 (8)ソ連軍撤退から政権崩壊へ 1979年のソ連軍侵攻以来、PDPA政権は本来は非主流的な旗派が主導することになったが、最初のバブラク・カルマル政権は優柔不断な性格が強く、内戦終結への道筋を描くことはできなかった。他方、ソ…

私家版足利公方実紀(連載第15回)

十九 足利義輝(1536年‐1565年) 足利義輝は、12代将軍義晴の嫡男として、天文十五年(1546年)、11歳で将軍位を譲られた。しかし当時は義晴が近江に避難中であったため、就任式も近江で執り行われた。実権は義晴が死去する同十九年(50年…

日本語史異説―悲しき言語(連載第8回)

四 倭語の形成① 日本語は文法構造上アルタイ諸語に近い膠着語の性質を持っていることは定説であるが、こうした北方的な言語構造は、いつどのようにもたらされたのか。この点、村山説をはじめ有力な学説は、弥生時代における言語変容の結果と見る点で一致して…