歴史の余白

内外の埋もれた歴史を再発見するブログ

シチリアとマルタ―言語の交差点

シチリアとマルタ―言語の交差点(連載第10回)

九 シチリア王国支配と土着マルタ語 マルタでは、200年以上に及んだイスラーム勢力の支配をシチリアのノルマン人勢力が1091年に終わらせ、1127年以降はシチリア・ノルマン朝の支配下に入った。これはマルタにおけるある種のレコンキスタであり、…

シチリアとマルタ―言語の交差点(連載第9回)

八 シチリア王国とシチリア語の確立 シチリアにアラビア語をもたらしたイスラーム系シチリア首長国は、11世紀半ば頃には統一性を失い、分裂した。その隙をついてシチリア征服に乗り出したのは、かねてより南イタリアで遠征活動を行っていたノルマン人勢力…

シチリアとマルタ―言語の交差点(連載第8回)

七 イスラーム支配とマルタの言語交替 マルタも、9世紀以降、シチリアと並行してイスラーム勢力の侵攻を受け、その支配下に置かれるが、ここでは11世紀前半になって、改めてイスラーム系シチリア首長国からの集団入植の波が生じた。 この再入植の正確な時…

シチリアとマルタ―言語の交差点(連載第7回)

六 イスラーム支配とシチリア・アラビア語 ビザンティン帝国の支配下にあったシチリアは、9世紀以降、ビザンティンの支配力の低下に伴い、北アフリカ方面から侵攻してきたイスラーム勢力により蚕食されていく。9世紀前半から11世紀末まで続くイスラーム…

シチリアとマルタ―言語の交差点(連載第6回)

五 ゲルマン時代/ビザンティン時代の言語事情 ローマ帝国の東西分裂と西ローマ帝国の弱体化、それに付け入る形でのゲルマン人の膨張・大移動という地政学状況の変化は、それまでローマ帝国の支配下にあったシチリアとマルタの言語事情にも微妙な影響を及ぼ…

シチリアとマルタ―言語の交差点(連載第5回)

四 ローマ時代とラテン語 シチリアとマルタは、紀元前3世紀後半、カルタゴを破ったローマ帝国の手にほぼ同時に渡った。当時のシチリアとマルタには、言語文化的に相違があったが、ローマ的地政学によれば、シチリアとマルタは一体的と認識されたから、両者…

シチリアとマルタ―言語の交差点(連載第4回)

三 フェニキア人の植民とマルタ語 フェニキア人の入植活動は地中海域全般に及んだから、マルタ島もその例外ではなかった。紀元前8世紀頃、フェニキア人の最初期の拠点であった現レバノンのティルスから最初の集団的な入植があったと見られ、フェニキア人の…

シチリアとマルタ―言語の交差点(連載第3回)

二 フェニキア人・ギリシャ人の植民とシチリア語 シチリアとマルタにおける本格的な文明時代の始まりは、フェニキア人・ギリシャ人の植民活動によってもたらされる。特にシチリアには紀元前8世紀頃から両民族の入植が開始されるが、入植時期はフェニキア人…

シチリアとマルタ―言語の交差点(連載第2回)

一 シチリアとマルタの先史/最初期言語 先史時代とは、最も端的に定義づければ、文字が発明される以前の時代をいうから、文字化されない口頭言語であった先史言語を特定・再構することは不可能であるが、推定することはできなくない。シチリアとマルタの場…

シチリアとマルタ―言語の交差点(連載第1回)

序説 シチリアとマルタは、ともに地中海の景勝地として近距離にあるが、歴史的にも連関性の強い島嶼である。とはいえ、現在シチリアはイタリア領の離島自治州であるのに対し、マルタは人口わずか40万人ながら独立国であるというように、地政学的には相違が…