歴史の余白

内外の埋もれた歴史を再発見するブログ

2017-01-01から1ヶ月間の記事一覧

私家版琉球国王列伝(連載第8回)

九 尚寧王(1564年‐1620年) 先代尚永王は嫡男がないまま没したため、後継には甥(妹の子)の尚寧が就くこととなった。尚寧は第二尚氏王朝3代尚真王の長男尚維衡を祖とする大名小禄御殿の4世に当たる王族である。ここで王統が切り替わることになる…

高家旗本吉良氏略伝(連載第6回)

五 吉良義安(1536年‐1569年)/義定(1564年‐1627年) 吉良義安は、吉良氏当主の中で久方ぶりに生没年が確証されている人物である。実際、滅亡しかけていた吉良氏は彼の代で一度再生するのである。そのきっかけは、義安が徳川家康と親交が…

弥助とガンニバル(連載第9回)

八 ガンニバルの子孫Ⅱ ガンニバルの後裔として最も著名なのは、ロシア近代文学者アレクサンドル・プーシキンである。おそらく、彼の存在のおかげでガンニバルの名も後世に記憶されたと言えるかもしれない。プーシキンはガンニバルの息子オシップの娘ナジェー…

私家版朝鮮国王列伝[増補版](連載第4回)

三 定宗・李芳果(1357年‐1419年)/太宗・李芳遠(1367年‐1422年) 太祖・李成桂の晩年を悩ませたのは、後継者問題であった。王子は8人いたが、本来なら後継者となるはずだった第一夫人神懿王后との間の長男芳雨が隠遁、早世したことから…

私家版朝鮮国王列伝[増補版](連載第3回)

二 太祖・李成桂(1335年‐1408年) 李朝創始者となる太祖・李成桂の生涯は大きく四期に分けることができる。第一期は、父の子春が死去した後、後を継いで北方軍閥となり、さしあたり高麗の武将として活動する時期である。実は、彼にとってはこの時期…

仏教と政治―史的総覧(連載第26回)

九 モンゴルの崇仏諸王朝 モンゴル帝国と仏教 モンゴル人の原宗教はアニミズムだったが、強大化し、中国大陸を支配するうえで、中国的宗教を利用する実益を認識したようである。そこで、初めは先行のモンゴル系大国・金の治下で隆盛化した道教を実質的な国教…

高家旗本吉良氏略伝(連載第5回)

四 吉良義堯(生没年不詳)/義昭(生没年不詳) 応仁の乱を経て、16世紀の戦国期に入ると、吉良氏本流西条吉良氏の凋落は色濃くなり、義真の子義信から先、数代にわたって生没年不詳者が続く。それでも、義信とその嫡孫義堯までは京都で将軍足利義稙側近…

私家版琉球国王列伝(連載第7回)

八 尚元王(1528年‐1572年)/尚永王(1559年‐1589年) 通算78年に及んだ尚真・尚清父子王の治世が1555年の尚清王の死をもって終焉すると、大勢いた王子たちの間での王位継承抗争が起きるも、翌年、先代から後継指名を受けていた次男…

高家旗本吉良氏略伝(連載第4回)

三 吉良義尚(1414年‐1467年)/義真(1422年?‐1481年) 吉良義尚・義真の兄弟は、西条吉良氏の祖となった満貞の孫に当たり、父俊氏は内裏警護を任務とする武者所長官職にあったことから、息子たちも若くして優遇されたようである。西条吉…

弥助とガンニバル(連載第8回)

七 ガンニバルの子孫Ⅰ 黒人将軍ガンニバルは、信長の弥助とは異なり、ロシア帝国軍人・貴族としてロシアに定着したため、ロシアに子孫を残すこととなった。しかし、最初の結婚は不幸な失敗に終わっている。その相手はギリシャ人女性であったが、経緯は不明な…

私家版朝鮮国王列伝[増補版](連載第2回)

一 桓祖・李子春(1315年‐1360年) 李朝の王家となった李氏の出自民族については韓族とみなすのが通説だが、遠祖を漢族とする史料もあるほか、異説として女真族説も提出されている。 女真族説は李氏の本拠は朝鮮半島でも最北部であり、14世紀初頭…

私家版朝鮮国王列伝[増補版](連載第1回)

序 李朝(朝鮮王朝)は、14世紀末から20世紀初頭に至るまで、日本では室町・江戸時代から明治時代末に至る極めて長い時期に並立した隣国王朝である。同時代にこれほど長きにわたって存続した王朝といえば、西アジアのオスマン朝くらいしか見当たらないほ…