歴史の余白

内外の埋もれた歴史を再発見するブログ

2023-01-01から1年間の記事一覧

弾左衛門矢野氏列記(連載第2回)

一 弾左衛門矢野集房(?~1617年) 弾左衛門初代となる矢野集房(または集方)は、江戸幕府開祖・徳川家康と同時代をほぼ並行的に生きた人物であるが、その実像は弾左衛門歴代の中で最も不確かである。その点、徳川=松平氏始祖とされる松平親氏と同様…

弾左衛門矢野氏列記(連載第1回)

序 弾左衛門矢野氏は、江戸時代、士農工商四身分の外にあった下層民(えた/ひにん)の頭領として、刑罰の執行役をはじめ、えた/ひにんに任された業務を統括した幕府役人であった。弾左衛門はその職名であり、矢野氏はその職を代々襲名・世襲し、江戸時代の…

もう一つの中国史(連載第13回)

五 遊牧民族の時代Ⅰ (1)遊牧諸民族と五胡十六国 中国史において北方及び西方の遊牧諸民族の果たした役割は、極めて大きなものがある。大きく俯瞰して、三国時代に続く五胡十六国時代以降モンゴル帝国版図に中原が組み込まれた元の時代までのおよそ千年間…

白川郷内ケ島氏興亡物語(連載第3回)

三 内ケ島氏と正(照)蓮寺 白川郷内ケ島氏を語るうえで欠かすことができないのは、かつて白川郷にあった一向宗寺院正蓮寺との因縁である。正蓮寺は鎌倉時代の建長年間に親鸞の直弟子・嘉念坊善俊が建立した浄土真宗寺院である。 その後、正蓮寺は地元に深く…

パレスティナ十字軍王国史話(連載第1回)

序 パレスティナ十字軍王国は、第一回十字軍の活動の結果、エルサレムを占領した十字軍によって建国されたキリスト教国家である。同時期に中東レバント地域に建国された四つの十字軍国家の一つと紹介されることもあるが、その200年近い持続性と国家として…

ユダヤ人の誕生(連載最終回)

Ⅵ ユダヤ人の確立 (18)「パレスチナ人」の分岐 古代ユダヤの亡国後、相当数のユダヤ人が海外に離散し、ディアスポラとなったが、ローマ帝国はかつてのアッシリア帝国のように強制移住政策を採らなかったから―ただし、相当数のユダヤ人捕虜を奴隷として売…

ユダヤ人の誕生(連載第18回)

Ⅵ ユダヤ人の確立 (17)キリスト教徒の分離 キリスト教創始者ナザレのイエスが生まれたのは、ヘロデ大王末年の紀元前4年とされる。新約によれば、ヘロデ大王は新たな王がベツレヘムで生誕したとの情報を得て、ベツレヘムの2歳以下の男児全員の殺害を命…

ユダヤ人の誕生(連載第17回)

Ⅵ ユダヤ人の確立 (16)同系民族の征服 ユダヤ人という民族概念は血統的なものではなく、宗教的なもの、すなわち「ユダヤ人=ユダヤ教徒」である。こうした宗教的民族概念が形成されたのは早くともハスモン朝全盛期と見られ、それ以前は血統的民族概念と…

アフガニスタン形成史(連載第3回)

二 アフガニスタンの形成概観 山岳国家アフガニスタンにおいて、北東部の首都カーブルと南部のカンダハル、北西部のヘラートは人口が集中する三大都市として枢要な位置を占めているが、近代以降のアフガニスタンは各々異なる歴史を持つこの三大都市が基軸と…

欧州超小国史(連載第8回)

Ⅰ サン・マリーノ至穏共和国 (7)第一次世界大戦とファシズムの浸透 イタリア統一後も、イタリアの一部とならず、改めて近代国家として独立を固守したサン・マリーノであったが、大国化したイタリアに四方を囲まれたマイクロ内陸国としての地政学上、イタ…

ユダヤ人の誕生(連載第16回)

Ⅴ ローマ支配から亡国まで (15)抵抗運動と挫折 前回述べたように、一時的に実質上ヘロデ朝を復活させたアグリッパ1世が44年に死去した後、そのローマ育ちの息子アグリッパ2世はもはやローマ帝国の完全な傀儡にすぎなかった。第一次ユダヤ戦争はそう…

ユダヤ人の誕生(連載第15回)

Ⅴ ローマ支配から亡国まで (14)ヘロデ朝の終焉と亡国 ヘロデ大王は30年以上独裁者として君臨した後、紀元前4年に没したが、彼が創始した王朝(ヘロデ朝)は、初代ヘロデ大王時代を全盛とし、大王の死に際しておそらくは宗主国ローマの意向を呈した大…

ユダヤ人の誕生(連載14回)

Ⅴ ローマ支配から亡国まで (13)最初のユダヤ人・ヘロデ大王 ハスモン朝を倒したのは、ローマ帝国と結んだヘロデであった。彼は元来ユダヤ民族ではなく、イドマヤ人の出自であった。聖書上、イドマヤ人はユダヤ民族始祖ヤコブの兄エサウを祖とする兄弟民…

もう一つの中国史(連載第12回)

四 西方諸民族の固有史 (3)チベット系諸民族の興隆 西域の手前には、古くからチベット系諸民族が展開していた。中国語とチベット語は言語学上包括してシナ・チベット語族を形成することからも、漢民族とチベット民族は言語学的に共通祖語を持つ可能性もあ…

もう一つの中国史(連載第11回)

四 西方諸民族の固有史 (2)オアシス都市国家群の盛衰 月氏が西域で優勢だった頃、より西のタリム盆地オアシスにも、著名な楼蘭(クロライナ)をはじめとする小さなオアシス都市国家群が成立していた。これらの諸国家の起源や民族・言語系統はいまだ解明さ…

もう一つの中国史(連載第10回)

四 西方諸民族の固有史 (1)月氏の展開と移動 中国の西方は、今日では新疆に包摂されるいわゆる西域を中心として、そこに接続する甘粛省やチベット地域、チベットの延長部分とも言える青海省なども含む広大な地方である。 そのうち、ひとまずチベットにつ…

欧州超小国史(連載第7回)

Ⅰ サン・マリーノ至穏共和国 (6)近代化と民主化の転機 1815年ウィーン会議で正式にサン・マリーノの独立が再確認された後、イタリアが1862年に念願の統一を果たした際も、サン・マリーノは統一イタリアに参加することは選択せず、友好条約により…

ノルマンディー地方史話(連載第18回)

第18話 シャルロット・コルデー フランス革命期のノルマンディーが生んだ著名人としては、暗殺者シャルロット・コルデーが異彩を放っている。コルデーはやはりノルマンディー出身の劇作家ピエール・コルネイユの子孫に当たる旧家の出だったが、母と死別後…

シリーズ:失われた権門勢家(連載第6回)

六 カロリング家 (1)出自 メロヴィング朝分国アウストラシアの宮宰ピピン1世(老ピピン)を家祖とするゲルマン系フランク族の豪族。老ピピンの父の名がカールマンと伝えられることからカロリングの家名がついたが、カールマンの事績は不詳で、老ピピンの…

松平徳川女人列伝(連載第11回)

十七 浄円院(1655年‐1726年)/覚樹院(1697年‐1777年) 浄円院と覚樹院は、それぞれ8代将軍徳川吉宗の生母と側室として、吉宗とゆかりの深い女人である。特に浄円院は吉宗の生母として、徳川宗家から紀伊徳川家への実質的な「政権交代」…

私家版アイヌ烈士列伝(連載第4回)

四 シャクシャイン(?‐1669年) 16世紀半ばのアイヌ‐和人勢力間で結ばれた講和協定「夷狄の商舶往還の法度」により、ひとまずアイヌと和人の間の紛争は沈静化し、その後の一世紀余りは平和な状態が続くが、協定はアイヌを東西の勢力に大きく分断する…

白川郷内ケ島氏興亡物語(連載第2回)

二 白川郷内ケ島氏の興り 白川郷を本拠とする白川郷内ケ島氏としての初代に当たるのは為氏であるが、白川郷内ケ島氏を興した実質的な家祖は為氏の父季氏だったと言える、前回も触れたように、季氏は足利第3代将軍義満の馬廻衆に名を連ね、内ケ島氏の家格を…

もう一つの中国史(連載第9回)

三 北中国の混成 (3)匈奴の解体と諸族割拠 冒頓単于の台頭以降60年にわたり、前漢は毎年多額の財物を贈って匈奴による領土不可侵を保証される羽目となり、この間の両国関係は河南オルドスまで南下占領していた匈奴側優位と言ってよかった。匈奴はまた、…

もう一つの中国史(連載第8回)

三 北中国の混成 (2)騎馬遊牧勢力の台頭 北方・東北の遼河文明が衰退した後、後に漢民族として統一されていく黄河文明人が北方にも拡散していったと見られるが、さらなる北方から対抗勢力として立ち現れたのが、遊牧勢力であった。この勢力については、半…

日光街道宿場小史(連載第3回)

三 越ケ谷宿 (1)由来 平安時代に興った武蔵七党の一党である野与党が割拠した地で、平安時代から野与党一族の古志賀谷氏が定住、鎌倉時代に地頭に補任された記録もあり、元来は「古志賀谷」と表記したようである。 (2)開発史 戦国時代になると、越ケ谷…

日光街道宿場小史(連載第2回)

二 草加宿 (1)由来 地名としての文書初見は天正元年(1573年)のことで、戦国時代には成立していたことが窺える。語源については、砂地を意味する「ソガ」の転訛とする説がある。しかし「ソガ」を固有名詞と見るなら、古代豪族蘇我氏の地方所領に見ら…

日光街道宿場小史(連載第1回)

小序 日光街道は江戸幕府創始者・徳川家康を祀る日光東照宮へ参拝することを目的とする街道として、寛永十三年(1636年)に江戸 - 下野国日光間に開通した特殊な幹線道路である。 江戸時代に整備された五街道の一つに数えられるが、その特殊性から、日本…