歴史の余白

内外の埋もれた歴史を再発見するブログ

2016-11-01から1ヶ月間の記事一覧

私家版琉球国王列伝(連載第5回)

六 尚円王(1415年‐1476年)/尚宣威王(1430年‐1477年) 第二尚氏を創始した尚円王は即位以前は金丸といい、伊是名島の農民の出とされる。しかし、若い頃、島を出て本島へ渡り、王子時代の尚泰久王の家臣となり、その即位にも貢献、以後は…

関東代官伊奈氏列伝(連載第7回)

六 伊奈忠辰(1705年‐1767年)/忠宥(1729年‐1772年) 伊奈忠辰〔ただとき〕は、関東代官先々代の忠順の実子であったが、遅く生まれたらしく、先に養子となっていた義兄の忠逵が後を継ぎ、忠逵が引退した後を受けて、寛延三年(1750年…

弥助とガンニバル(連載第6回)

五 オマーン海洋帝国の台頭 弥助が日本から姿を消した後、彼の出自した東アフリカ情勢も転換期を迎える。16世紀初頭以来、ポルトガルの支配下に置かれていたアラビア半島南端のオマーンが台頭してくる。そのきっかけは17世紀前半、イスラーム少数宗派イ…

関東代官伊奈氏列伝(連載第6回)

五 伊奈忠逵(1690年‐1756年) 先代伊奈忠順は、なかなか嫡男が生まれなかったらしく、初めは伊奈氏宗家側の武蔵小室旗本領主・伊奈貞長の子・忠逵〔ただみち〕を養子とした。ところが、晩年に実子の忠辰〔ただとき〕が誕生したため、忠順死去に際し…

仏教と政治―史的総覧(連載第23回)

八 チベット神権政治 吐蕃王朝と仏教 今日大乗仏教系で中国経由の北伝仏教と二大系統を成すチベット仏教の始まりは7世紀の吐蕃王朝の成立を契機とする。初代国王ソンツェン・ガンポは当時の地政学上、南で接するネパール(リッチャヴィ朝)と東で接する唐の…

私家版琉球国王列伝(連載第4回)

五 尚徳王(1441年‐1469年) 尚徳王が父尚泰久王から円滑に王位を継承した時は、まだ20歳そこそこであったが、彼は間もなく強い指導力を発揮し始める。彼の時代に東南アジアの当代有力な港市国家マラッカとの貿易を開始し、琉球を東アジアの港市国…

弥助とガンニバル(連載第5回)

四 信長と弥助 ここで、ようやく本連載の主人公弥助の登場である。弥助は日本の歴史上、明確な活動記録の残る唯一の黒人武士である。出身は当時のポルトガル領東アフリカに属したモザンビーク、日本へ連行してきたのは、イタリア人のイエズス会司祭アレッサ…

関東代官伊奈氏列伝(連載第5回)

四 伊奈忠篤(1669年‐1697年)/忠順(?‐1712年) 伊奈忠篤・忠順〔ただのぶ〕兄弟は先代忠常の息子たちであり、父の没後、相次いで関東代官を世襲した。同時に忠篤の代からは、金森氏の領地だった飛騨高山藩が廃され、天領化されたことに伴い…

仏教と政治―史的総覧(連載第22回)

七 日本仏教と政治 仏教統制から廃仏毀釈へ 鎌倉新仏教はその後、室町時代にも引き継がれ、特に臨済宗は幕府の保護を受け、中国の制にならった禅宗五山の制度も整備された。政教の距離はより縮まり、臨済宗僧侶の夢窓疎石やその門弟たちの中には、将軍や鎌倉…