歴史の余白

内外の埋もれた歴史を再発見するブログ

2021-01-01から1年間の記事一覧

シリーズ:失われた権門勢家(第4回)

四 漢皇室劉氏 (1)出自 戦国時代末期には楚に属した泗水郡沛県に出自する農民(富農)出自の侠客で、後に漢王朝(前漢)を建てる劉邦に始まる皇室。ただし、前漢が滅亡した後、中断を経て漢王朝を再興した劉秀(光武帝)は、前漢6代景帝の七男である劉発…

もう一つの中国史(連載第5回)

二 西南中国の固有性 (1)四川文明と巴蜀 今日、中国西南部の主要な省として四川省が存在するが、1980年代になり、同省広漢市の三星堆遺跡で、前2000年かそれ以前にも遡る高度文化圏の存在が明らかになった。 四川盆地は長江の上流に当たるため、…

もう一つの中国史(連載第4回)

一 南中国の独自性 (3)楚の盛衰 南方系諸国の中から後に戦国七雄にまでのし上がる楚の主体民族は不詳であり、発祥地からすると、中原にも近く、漢民族系と見る余地もある。ただ自ら蛮夷とみなしていたことや、貝貨や墓制に漢民族系のものと明白に異なる特…

シチリアとマルタ―言語の交差点(連載第9回)

八 シチリア王国とシチリア語の確立 シチリアにアラビア語をもたらしたイスラーム系シチリア首長国は、11世紀半ば頃には統一性を失い、分裂した。その隙をついてシチリア征服に乗り出したのは、かねてより南イタリアで遠征活動を行っていたノルマン人勢力…

欧州超小国史(連載第5回)

Ⅰ サン・マリーノ至穏共和国 (4)近世サン・マリーノのはじまり 17世紀前半に教皇の保護国という形で国際法的にも独立国家として確定したサン・マリーノであったが、辺鄙な山岳国家ゆえに経済的には振るわず、17世紀から18世紀にかけては移民の続出…

松平徳川女人列伝(連載第9回)

十三 順性院(1622年‐1683年) 3代将軍徳川家光の側室の中でも、順性院(お夏の方)はその出自が明確に町人身分と判明している点で、際立っている。町人身分ゆえに当初は家光正室の鷹司孝子付きの将軍御目見えが許されない下級女中(御末)からスタ…

土佐一条氏興亡物語(連載第5回)

五 戦国大名・土佐一条氏の盛衰(中):傀儡化 土佐一条氏五代目兼定は父・房基の突然の自害により七歳で跡を継ぐが、20代半ばの頃までは比較的順調であった。彼は海を越えて豊後の大友氏の娘を継室として娶り、大友氏と同盟したほか、伊予への版図拡大を…

クルド人の軌跡(連載第4回)

二 クルド人の全盛 アイユーブ家の台頭 中世におけるクルド人地域首長国の中で最も早くに形成されたシャッダード朝はアルメニア西部のドゥヴィンを首都として長く治めていたが、ドゥヴィンは1064年にセルジューク朝に占領され、以後のシャッダード朝は同…

アフガニスタン形成史(連載第1回)

零 ヘルマンド文明圏―第五の古代都市文明? 多国籍軍の撤退に伴う政権崩壊とイスラーム復古勢力ターリバーンの全土制圧、大量難民化という急展開により、非常に不幸な形で再び世界の耳目を集めてしまったアフガニスタン━。 アフガニスタンは山岳地帯が大部分…

ノルマンディー地方史話(連載第15回)

第15話 繁栄と宗教改革 百年戦争を経て、ノルマンディー地方がフランス領に確定した後、戦後の復興と王国の再建に努めたルイ11世は、末弟シャルルにベリーを王族所領として与えたが、これに不満のシャルルは1465年、ルイに不満を持つ貴族とともに反…

もう一つの中国史(連載第3回)

一 南中国の独自性 (2)越の短い覇権 中原で周王朝が覇権を確立した頃、中国南部の長江文明圏はいったん衰亡したように見えるが、長江文明人が完全に消滅したとは考えにくい。周の東遷(事実上の滅亡)後、春秋時代に入ると、今日の河南省から湖北省、湖南…

もう一つの中国史(連載第2回)

一 南中国の独自性 (1)基層‐長江文明 現代中国は広大な単一国家の形態を採り、民族構成上は南北ともに大多数を漢民族が占めるとされているが、実際のところ、首都北京を中心とした北中国と上海を中心とした南中国とでは言語的に大きく異なる。今日ではそ…

私家版アイヌ烈士列伝(連載第2回)

二 タナカサシ(?‐1529)/タリコナ(?‐1536) コシャマインの戦いの後、鎮定に功労のあった蠣崎氏の渡党首領としての地位が明瞭になったが、まだアイヌ側との交易利権をめぐる正式な協定もなく、アイヌ側では蠣崎氏は相変わらずある種の侵略者と…

外様小藩政治経済史(連載第17回)

四 福江藩の場合 (4)幕末廃藩 福江藩の幕末は、おおむね第10代藩主五島盛成[もりあきら]とその子である第11代盛徳[もりのり]の時代に相当する。 盛成は、父の前藩主盛繁が早期に隠居したため、文政12年(1829年)に家督を相続し、藩主とな…

欧州超小国史(連載第4回)

Ⅰ サン・マリーノ至穏共和国 (3)憲法制定から教皇による承認へ サン・マリーノの共和国としての基礎は、15世紀後半、ファエターノ集落が最後の構成共同体として参加し、9つの共同体のまとまりから成る国が形成されて一応完成を見たと言える。しかし、…

シチリアとマルタ―言語の交差点(連載第8回)

七 イスラーム支配とマルタの言語交替 マルタも、9世紀以降、シチリアと並行してイスラーム勢力の侵攻を受け、その支配下に置かれるが、ここでは11世紀前半になって、改めてイスラーム系シチリア首長国からの集団入植の波が生じた。 この再入植の正確な時…

シリーズ:失われた権門勢家(第3回)

三 ユリウス・カエサル家 (1)出自 ローマ帝国の礎を築いた将軍にして独裁官ガイウス・ユリウス・カエサルに始まる家系。ただし、彼が出自したユリウス氏族は、元来イタリア中部のアルバを発祥地とする古いローマ貴族(パトリキ)であるが、カエサルの台頭…

もう一つの中国史(連載第1回)

序 地政学上古くから中国史への関心が強い日本では中国史を扱う書籍・情報は通史・個別史を含め、無数に存在するが、その多くは中国人=漢民族を中心に描かれている。これは、中国の支配民族が漢民族であることからして無理もないことではあるが、中国史の読…

ユダヤ人の誕生(連載第8回)

Ⅲ 入植・王国時代 (7)平野部再移住 前回、旧約の「出エジプト」とは本来ほぼ今日のパレスチナに相当するカナンの先住民であった原カナン人の一部が、エジプトの支配を逃れて山地へ移住した事実を壮大な物語化したものであろうと論じた。 旧約によれば、ユ…

外様小藩政治経済史(連載第16回)

四 福江藩の場合 (3)社会動向 福江藩は、小さな島の領主がそのまま近世大名成りして治めていた小藩であったわりに―むしろ、それゆえにと言うべきか―、藩の主軸産業である漁業の権益も絡み、騒動・騒乱が各時代ごとに勃発する傾向にあり、波乱の小藩であっ…

ロマニ流浪史(連載第1回)

エピローグ ロマニは中世以来、中東欧圏を中心に展開する移動民族として、その音楽や舞踊などの芸術的才覚は欧州文化にも大きなインスピレーションを与えながら、最下層の「流浪の民」として、しばしば差別と迫害の対象とされてきた、言わば欧州の不可触民で…

松平徳川女人列伝(連載第8回)

十二 お楽の方(1621年‐1651年) 本名を蘭といったお楽の方は、3代将軍家光の側室として世継ぎとなる家綱(4代将軍)を産んだことで、幕府の存続を保証した重要人物となった。しかも、その生涯は二人の弟たちにも恩恵の及ぶ波乱含みの階級上昇に彩…

インドのギリシャ人(連載第1回)

エピローグ かつてインドにギリシャ人の王国があった。といっても、紀元前2世紀から紀元1世紀頃までの一時期であり、持続的ではなかった。このインドのギリシャ人たちがどのようにしてインド亜大陸に到達し、植民したかはよくわかっていないが、本国を離れ…

ノルマンディー地方史話(連載第14回)

第14話 ノルマンディーの危機 14世紀初頭、フランス王から憲章に基づく自治を勝ち取ったノルマンディーであったが、間もなく、100年以上に及ぶ長い危機の時代を迎えることになる。その始まりは、ノルマンディーの旧領有者であるイングランドとフラン…

私家版アイヌ烈士列伝(連載第1回)

序 アイヌ民族は、その歴史を通じて、国家やそれに類する政治機構を形成せず、かつ部族的な連合体を形成することもなく、コタンと呼ばれる通常は10戸未満から成る小村単位の生活様式を維持していた。コタンは父系集団によって統制され、その長はコタンコロ…