歴史の余白

内外の埋もれた歴史を再発見するブログ

〆弥助とガンニバル

弥助とガンニバル(連載最終回)

九 エピローグ :アフリカ奴隷貿易のその後 弥助とガンニバルは、奴隷貿易システムが生み出した東方のアフリカ黒人武人であり、その後、両者の再来と言えるような例は記録されていない。その意味では、奴隷貿易システムの国際的な広がりを象徴する特異な事例…

弥助とガンニバル(連載第9回)

八 ガンニバルの子孫Ⅱ ガンニバルの後裔として最も著名なのは、ロシア近代文学者アレクサンドル・プーシキンである。おそらく、彼の存在のおかげでガンニバルの名も後世に記憶されたと言えるかもしれない。プーシキンはガンニバルの息子オシップの娘ナジェー…

弥助とガンニバル(連載第8回)

七 ガンニバルの子孫Ⅰ 黒人将軍ガンニバルは、信長の弥助とは異なり、ロシア帝国軍人・貴族としてロシアに定着したため、ロシアに子孫を残すこととなった。しかし、最初の結婚は不幸な失敗に終わっている。その相手はギリシャ人女性であったが、経緯は不明な…

弥助とガンニバル(連載第7回)

六 ピョートル1世とガンニバル ポルトガルが斜陽化していった17世紀には、北方でも変化が起きていた。ロシアにロマノフ朝が成立したのである。当初は中世的な性格を脱し切れなかったこの王朝を北方の新帝国に押し上げたのが、大帝を冠せられるピョートル…

弥助とガンニバル(連載第6回)

五 オマーン海洋帝国の台頭 弥助が日本から姿を消した後、彼の出自した東アフリカ情勢も転換期を迎える。16世紀初頭以来、ポルトガルの支配下に置かれていたアラビア半島南端のオマーンが台頭してくる。そのきっかけは17世紀前半、イスラーム少数宗派イ…

弥助とガンニバル(連載第5回)

四 信長と弥助 ここで、ようやく本連載の主人公弥助の登場である。弥助は日本の歴史上、明確な活動記録の残る唯一の黒人武士である。出身は当時のポルトガル領東アフリカに属したモザンビーク、日本へ連行してきたのは、イタリア人のイエズス会司祭アレッサ…

弥助とガンニバル(連載第4回)

三 大航海と奴隷貿易 アッバース朝からオスマン帝国へと引き継がれ、確立されたアフリカ奴隷貿易システムに対する対抗者として現れたのが大航海時代を迎えた西欧である。ポルトガルが先陣を切った。アントン・ゴンサルベスなる15世紀のポルトガル人航海者…

弥助とガンニバル(連載第3回)

二 オスマン帝国と奴隷制 イスラーム世界における奴隷制はやがてイスラーム世界の覇者となったオスマン帝国に継承され、より大々的かつ体系的に制度化される。 帝国の奴隷制には、主としてコーカサス・東欧方面から調達される白人系奴隷と、従来のザンジュ奴…

弥助とガンニバル(連載第2回)

一 プロローグ :アフリカ奴隷貿易の始まり アフリカ人を捕縛して連行、奴隷として市場で売買するアフリカ奴隷貿易の始まりを正確に捉えることは難しいようだが、少なくともこれをシステマティックに始めたのは、アラブ人商人であったことは間違いない。アラ…

弥助とガンニバル(連載第1回)

序 本連載のタイトルに表れる弥助とガンニバルは、歴史上の人物として全く無名というわけではないが、頻繁に話題になるような人物ではない。共通するのは、どちらもアフリカ人であること、そして奴隷身分から解放され、縁もゆかりもない東の国で武人として活…