歴史の余白

内外の埋もれた歴史を再発見するブログ

2017-01-01から1年間の記事一覧

神道と政治―史的総覧(連載第10回)

三 律令的神道祭祀の確立 院政と熊野信仰 平安時代までに日本神道のあり方として定着した神仏習合が平安末期の複雑な政治情勢の中で独特の形態をまとって発現したのは、熊野信仰であった。紀伊の熊野には古くから山岳信仰の場として何らかの宗教的施設がすで…

私家版朝鮮国王列伝[増補版](連載最終回)

二十二 高宗・李熙(1852年‐1919年)/純宗・李坧(1874年‐1926年) 李昰応・興宣大院君(大院君)の項でも先取りしたように、26代高宗は大院君の次男であり、先代哲宗との血縁の遠さからすれば、実質上高宗をもって王朝交代があったとみ…

神道と政治―史的総覧(連載第9回)

三 律令的神道祭祀の確立 鎮護国家と神仏習合 前回見たように、律令制の下、神道は神祇官によって中央管理される儀礼的な宗教として確立される一方、律令制確立期である奈良時代には、仏教が朝廷によっても高く奉じられるようになる。特に聖武天皇と光明皇后…

私家版朝鮮国王列伝[増補版](連載第21回)

二十一 閔玆暎・明成皇后(1851年‐1895年) 26代高宗の正室・閔玆暎は通称で「閔妃」と呼ばれるように、驪興閔氏の出であった。閔氏は孔子の高弟・閔子騫の末裔を称する中国系の豪族であったが、さほど有力家系ではなかったところ、大院君の正室に…

神道と政治―史的総覧(連載第8回)

三 律令的神道祭祀の確立 神祇官の創設 持統天皇時代に最初の整備がなされ、彼女が準備した続く奈良朝下で完成を見た日本型律令体制においては、神道の管理も律令的統治の中に明確に位置づけられた。朝廷の祭祀を統括する神祇官の職制がそれである。 神祇官…

私家版朝鮮国王列伝[増補版](連載第20回)

二十 李昰応・興宣大院君(1820年‐1898年) 勢道政治に呑まれ、全く権能を発揮できなかった25代哲宗が1863年に没すると、転機が訪れた。まだ存命していた24代憲宗生母の神貞王后が動き、26代国王として、全くの王室傍流にあった李昰応の次…

神道と政治―史的総覧(連載第7回)

二 天皇制の創出と神道 第二次宗教改革:「天照神道」の確立 仏教を定着させた蘇我体制(蘇我王朝―私見)は、半世紀ほど続いた後、7世紀半ばのいわゆる大化の改新によって倒され、旧王朝が復活した。この復活王朝(後昆支朝―詳しくは拙稿参照)は、二度と王…

私家版朝鮮国王列伝[増補版](連載第19回)

十九 哲宗・李昪(1831年‐1863年) 先代の24代憲宗は世子を残さず、夭折したため、後継問題が生じた。この時、23代純祖の王妃だった安東金氏出身の純元王后が動き、憲宗生母の神貞王后が出自した豊壌趙氏の機先を制する形で、22代正祖の弟の孫…

土佐一条氏興亡物語(連載第2回)

二 中村小京都の建設 応仁の乱の際、京都の公家一条氏が土佐に疎開してきた経緯は初回に述べたが、一族の荘園であった幡多荘は古代には波多国造の支配地であり、古代以来、土佐の中心地として拓けていたと見られる。とはいえ、農村にすぎなかったこの地を小…

神道と政治―史的総覧(連載第6回)

二 天皇制の創出と神道 宗教戦争:仏教との相克 昆支大王による宗教改革の成果は永続的なものであり、その基本路線は以後、ヤマト王権により継承されていくが、6世紀の欽明天皇(大王;当時、天皇号はまだ存在しなかった)の時代になると、王朝開祖である昆…

私家版朝鮮国王列伝[増補版](連載第18回)

十八 純祖・李玜(1790年‐1834年)/憲宗・李奐(1827年‐1848年) 23代純祖は先代正祖の次男であったが、11歳での即位となったため、先々代英祖の継室で、正祖没後に政治的に復権した貞純王后の垂簾聴政を受けた。貞純王后は反正祖の実…

神道と政治―史的総覧(連載第5回)

二 天皇制の創出と神道 第一次宗教改革:イヅモ神道の導入 神道はヤマト王権の祭政一致体制を支える宗教的基盤となり、やがて天皇制律令国家の制度的基盤ともなるわけであるが、そこへ至るまでの過程は想定されている以上に複雑である。 すなわち、二つの大…

私家版朝鮮国王列伝[増補版](連載第17回)

十七 正祖・李祘(1752年‐1800年) 22代正祖は、父荘献世子が祖父の21代英祖によって処刑されたため、一代飛ばす形で英祖の後継者となった。彼は荘献世子の子であることに内心誇りを抱いていたようであるが、君主としては祖父の路線の継承者であ…

神道と政治―史的総覧(連載第4回)

一 古代国家と神道の形成 ヤマト神道とイヅモ神道 いわゆる古墳時代は、全国に16万基を越える膨大な数の古墳が特定されていることからもわかるとおり、極めて地域性の強い首長制国家の乱立時代であったが、その中から、畿内を拠点とするいわゆるヤマト王権…

土佐一条氏興亡物語(連載第1回)

一 土佐一条氏前史 「小京都」と呼ばれる景観都市が全国に多数散在し、一定の条件を満たした全国の40を越える小京都で構成される「全国京都会議」という準公式団体すら存在する。同団体に加盟していない自称・他称の小京都まで含めれば小京都の数はもっと…

私家版朝鮮国王列伝[増補版](連載第16回)

十六 英祖・李昑(1694年‐1776年) 20代景宗が急死した後を受けて即位した異母弟の21代英祖は、生母淑嬪崔氏が最下層の賤民階級出自という異例の王である。景宗の生母禧嬪張氏も中人階級出自ながら一時は王妃に昇格した異例の人物であったように…

神道と政治―史的総覧(連載第3回)

一 古代国家と神道の形成 首長国家と氏族祭祀 邪馬台国は弥生時代最末期のクニの集大成と言えるものであったが、『魏志倭人伝』の記述によれば、当時の倭では人が死ぬと、土を封じて塚を作ったとある。こうした盛り土型の墳墓が各地に盛んに築造された時代が…

私家版朝鮮国王列伝[増補版](連載第15回)

十五 粛宗・李焞(1661年‐1720年)/景宗・李昀(1688年‐1724年) 父の第18代顕宗の後を受けて1674年に14歳で即位した第19代粛宗は、朝鮮王朝では久々に半世紀近い長期治世を保つ王となった。彼は政治的にも早熟と見え、年少で即…

神道と政治―史的総覧(連載第2回)

一 古代国家と神道の形成 邪馬台国と国家祭祀 神道は特定の創始者と創始年を特定できない伝統宗教であり、原初のアニミズムに起源を持つことはほぼ間違いない。そのため、初めから政治との関わりが濃厚だったいわゆる世界三大宗教とは異なり、元来は民間信仰…

私家版朝鮮国王列伝[増補版](連載第14回)

十四 孝宗・李淏(1619年‐1659年)/顕宗・李棩(1641年‐1674年) 17代孝宗は、16代仁祖の次男(鳳林大君)として、丙子の乱で朝鮮が清に敗れた後、兄の昭顕世子とともに清に人質として送られた。抑留時代の鳳林大君は世子である兄を守…

神道と政治―史的総覧(連載第1回)

小序 当連載は、日本の伝統宗教である神道と政治との関わりについて、史的に総覧することを目的とする。先般、筆者は「仏教と政治」に関しても、世界史的な視野から史的な総覧を試みたところであるが、当連載はそれに引き続く姉妹的な連載として位置づけられ…

仏教と政治―史的総覧(連載最終回)

十二 現代政治と仏教 宗教対立の中の仏教② 現代における上座部仏教と他宗教との対立紛争の事例として、東南アジアの上座部仏教系の二大国であるタイとミャンマーでは少数派イスラーム教徒との対立紛争が生じている。 このうち、タイでもマレーシアとの国境に…

仏教と政治―史的総覧(連載第36回)

十二 現代政治と仏教 宗教対立の中の仏教① 仏教が政治的な優越宗教として他宗教との間で深刻な対立紛争を引き起こす例は多くないが、戒律が厳格で保守的な上座部仏教系においてはいくつかの事例が見られる。中でも、スリランカ内戦は最も代表的かつ深刻な一…

私家版朝鮮国王列伝[増補版](連載第13回)

十三 仁祖・李倧(1595年‐1649年) 16代仁祖は14代宣祖の孫に当たり、伯父の光海君を打倒した西人派のクーデターによって擁立された。そのため、このクーデターは仁祖反正とも称される。クーデターに際して最大の動機となったのは、光海君の中立…

仏教と政治―史的総覧(連載第35回)

十二 現代政治と仏教 日本の「議会政仏教」 日本では明治政府による廃仏毀釈政策の結果、中世以来の伝統仏教勢力が急速に閉塞することとなり、仏教は神道に劣後する二級宗教に転落した。その一方で、昭和に入ると、伝統仏教勢力の外部で新興の仏教団体を創立…

私家版琉球国王列伝(連載最終回)

十六 尚泰王〈続〉 前回見たように、薩摩藩主・島津斉彬の急死は琉球内政にも大きく影響した。斉彬の代理人的な役割を果たしていた牧志朝忠に反発する勢力が動き出したのである。1859年、牧志ら親薩摩派は三司官選挙での買収など数々の汚職の罪で一斉検…

私家版琉球国王列伝(連載第15回)

十六 尚泰王(1843年‐1901年) 尚泰王は先代の父尚育王が若くして没したことから、1848年、幼少で即位した。そのため、治世初期の欧米列強との相次ぐ条約締結で主導的役割を果たすことはなかった。 1850年代に琉球が締結した一連の条約のう…

私家版朝鮮国王列伝[増補版](連載第12回)

十二 光海君・李琿(1575年‐1641年) 14代宣祖には長く嫡男が生まれず、その晩年は後継問題で揺れていた。庶長子の臨海君は性格上の問題から後継候補を脱落し、最有力候補は庶次子光海君だったが、これには明が長男でないことを理由に世子としての…

仏教と政治―史的総覧(連載第34回)

十一 近代国家と仏教 インドの仏教復興運動 発祥地インドでは伝統的なバラモン→ヒンドゥー教に押し返されて極小宗派となった仏教であるが、近現代になって、反カースト差別の政治運動と結びつく形で部分的な復興の動きがある。 その創始者ビームラーオ・アン…

私家版琉球国王列伝(連載第14回)

十五 尚育王(1813年‐1847年) 琉球にも西洋列強の手が及び始めた19世紀前半の時期に登位した尚育王は、前回も見たように、父王が晩年精神障碍のため執務不能となったため、10代から摂政として政務を執っていた。 在位中は、来航する列強との折…