歴史の余白

内外の埋もれた歴史を再発見するブログ

2016-01-01から1年間の記事一覧

高家旗本吉良氏略伝(連載第3回)

二 吉良満義(?‐1356年)/満貞(?‐1384年) 吉良満義は、先代貞義の子として、足利尊氏に倒幕を勧めた高齢の父に代わって尊氏の挙兵に加わり、京都六波羅探題攻略を助けた。後醍醐天皇による建武新政開始後は尊氏の弟直義の最側近として鎌倉へ下…

仏教と政治―史的総覧(連載第25回)

八 チベット神権政治 ダライ・ラマとシャブドゥン チベットでは、モンゴル系オイラート族グーシ・ハーンが樹立した王朝(グーシ・ハーン朝)の下、ゲルク派最高指導者ダライ・ラマの地位が確立され、ダライ・ラマを事実上の君主として戴くガンデンポタンがチ…

高家旗本吉良氏略伝(連載第2回)

一 吉良長氏(1211年‐1290年)/貞義(?‐1343年) 吉良氏は、後の室町将軍家となる足利氏3代目当主足利義氏の庶子を家祖とする分家であるが、庶長子長氏に始まる三河吉良氏と別の庶子義継に始まる奥州(武蔵)吉良氏の二大系統に分かれている…

私家版琉球国王列伝(連載第6回)

七 尚真王(1465年‐1527年)/尚清王(1497年‐1555年) 前回の末尾で見たとおり、尚真王は生母宇喜也嘉の差配により、叔父を退けて12歳ほどで3代国王に就いた経緯から、治世初期には宇喜也嘉が実権を持ったと見られる。 しかし、彼は若く…

弥助とガンニバル(連載第7回)

六 ピョートル1世とガンニバル ポルトガルが斜陽化していった17世紀には、北方でも変化が起きていた。ロシアにロマノフ朝が成立したのである。当初は中世的な性格を脱し切れなかったこの王朝を北方の新帝国に押し上げたのが、大帝を冠せられるピョートル…

高家旗本吉良氏略伝(連載第1回)

序 すでに二日過ぎてしまったが、周知12月14日(旧暦:西暦では1月30日)は有名な赤穂浪士討ち入りの日である。本連載の主人公となる吉良氏は赤穂藩主浅野内匠頭長矩が高家旗本吉良上野介義央を江戸城中で斬りつけた刃傷沙汰を契機とする一連の事件の…

関東代官伊奈氏列伝(連載最終回)

八 伊奈忠尊(1764年‐1794年)/忠善(1773年‐1807年) 伊奈忠尊〔ただたか〕は、子沢山な備中松山藩主板倉勝澄の十一男として生まれ、先代関東代官伊奈忠敬の婿養子となった。三河に発祥した板倉氏は足利氏流を称する古くからの徳川譜代で…

仏教と政治―史的総覧(連載第24回)

八 チベット神権政治 神権体制の創始 チベットで確立される独特の神権体制の起源は、吐蕃王朝滅亡後、13世紀にモンゴルの侵攻を受けたことにあった。当時のチベットでは、分裂状況の中、有力氏族ごとの仏教系宗派集団が形成される傾向にあった。 そうした…

関東代官伊奈氏列伝(連載第8回)

七 伊奈忠敬(1736年‐1778年) 伊奈忠敬〔ただひろ〕は、大和郡山藩主柳沢吉里の六男として誕生したが、嫡子のない伊奈氏先代忠宥の養子となって後を継いだ。ここで、関東代官伊奈氏は初めて他家からの養子世襲となり、新たな歴史が始まる。 なぜ柳…

私家版琉球国王列伝(連載第5回)

六 尚円王(1415年‐1476年)/尚宣威王(1430年‐1477年) 第二尚氏を創始した尚円王は即位以前は金丸といい、伊是名島の農民の出とされる。しかし、若い頃、島を出て本島へ渡り、王子時代の尚泰久王の家臣となり、その即位にも貢献、以後は…

関東代官伊奈氏列伝(連載第7回)

六 伊奈忠辰(1705年‐1767年)/忠宥(1729年‐1772年) 伊奈忠辰〔ただとき〕は、関東代官先々代の忠順の実子であったが、遅く生まれたらしく、先に養子となっていた義兄の忠逵が後を継ぎ、忠逵が引退した後を受けて、寛延三年(1750年…

弥助とガンニバル(連載第6回)

五 オマーン海洋帝国の台頭 弥助が日本から姿を消した後、彼の出自した東アフリカ情勢も転換期を迎える。16世紀初頭以来、ポルトガルの支配下に置かれていたアラビア半島南端のオマーンが台頭してくる。そのきっかけは17世紀前半、イスラーム少数宗派イ…

関東代官伊奈氏列伝(連載第6回)

五 伊奈忠逵(1690年‐1756年) 先代伊奈忠順は、なかなか嫡男が生まれなかったらしく、初めは伊奈氏宗家側の武蔵小室旗本領主・伊奈貞長の子・忠逵〔ただみち〕を養子とした。ところが、晩年に実子の忠辰〔ただとき〕が誕生したため、忠順死去に際し…

仏教と政治―史的総覧(連載第23回)

八 チベット神権政治 吐蕃王朝と仏教 今日大乗仏教系で中国経由の北伝仏教と二大系統を成すチベット仏教の始まりは7世紀の吐蕃王朝の成立を契機とする。初代国王ソンツェン・ガンポは当時の地政学上、南で接するネパール(リッチャヴィ朝)と東で接する唐の…

私家版琉球国王列伝(連載第4回)

五 尚徳王(1441年‐1469年) 尚徳王が父尚泰久王から円滑に王位を継承した時は、まだ20歳そこそこであったが、彼は間もなく強い指導力を発揮し始める。彼の時代に東南アジアの当代有力な港市国家マラッカとの貿易を開始し、琉球を東アジアの港市国…

弥助とガンニバル(連載第5回)

四 信長と弥助 ここで、ようやく本連載の主人公弥助の登場である。弥助は日本の歴史上、明確な活動記録の残る唯一の黒人武士である。出身は当時のポルトガル領東アフリカに属したモザンビーク、日本へ連行してきたのは、イタリア人のイエズス会司祭アレッサ…

関東代官伊奈氏列伝(連載第5回)

四 伊奈忠篤(1669年‐1697年)/忠順(?‐1712年) 伊奈忠篤・忠順〔ただのぶ〕兄弟は先代忠常の息子たちであり、父の没後、相次いで関東代官を世襲した。同時に忠篤の代からは、金森氏の領地だった飛騨高山藩が廃され、天領化されたことに伴い…

仏教と政治―史的総覧(連載第22回)

七 日本仏教と政治 仏教統制から廃仏毀釈へ 鎌倉新仏教はその後、室町時代にも引き継がれ、特に臨済宗は幕府の保護を受け、中国の制にならった禅宗五山の制度も整備された。政教の距離はより縮まり、臨済宗僧侶の夢窓疎石やその門弟たちの中には、将軍や鎌倉…

私家版琉球国王列伝(連載第3回)

三 尚金福王(1398年‐1453年) 尚金福王は先代の甥尚思達王が継嗣を残さず没したために、王位に就くことになった。彼の四年ほどの在位中の事績としては、明使を迎えるために、港として整備した那覇と王城のある首里を結ぶ堤道として長紅堤を築造した…

関東代官伊奈氏列伝(連載第4回)

三 伊奈忠克(1617年‐1665年)/忠常(1649年‐1680年) 伊奈忠克は、先代忠治の嫡男として関東代官職を継承した。前回も見たとおり、関東代官伊奈氏は父忠治の代で確立され、「関東郡代」を私称するまでに強勢化していた。忠克はそうした伊…

弥助とガンニバル(連載第4回)

三 大航海と奴隷貿易 アッバース朝からオスマン帝国へと引き継がれ、確立されたアフリカ奴隷貿易システムに対する対抗者として現れたのが大航海時代を迎えた西欧である。ポルトガルが先陣を切った。アントン・ゴンサルベスなる15世紀のポルトガル人航海者…

仏教と政治―史的総覧(連載第21回)

七 日本仏教と政治 武家仏教と民衆仏教 平安時代末期の平安ではなくなった時代、平安貴族らはこぞって浄土教に走り、来世での冥福を願ったが、現世での幸福はかなわず、かれらが権力保持のために依存するようになった武士層の増長を抑えることはできなかった…

私家版琉球国王列伝(連載第2回)

一 尚思紹王(1354年‐1421年)/尚巴志王(1372年‐1439年) 尚思紹・尚巴志父子は、琉球を初めて統一した第一尚氏王朝の創始者とされているが、厳密には父尚思紹王の代では統一は完成しておらず、統一は2代目尚巴志王の功績である。尚思紹…

関東代官伊奈氏列伝(連載第3回)

二 伊奈忠治(1592年‐1653年) 伊奈忠治は関東代官初代忠次の次男として生まれたが、元和四年(1618年)の兄忠政の死後、小室藩主家を継いだ幼少の甥忠勝と分離する形で代官職を継ぎ、父兄の土木事業を継承した。忠治最大の事績は利根川付替え事…

弥助とガンニバル(連載第3回)

二 オスマン帝国と奴隷制 イスラーム世界における奴隷制はやがてイスラーム世界の覇者となったオスマン帝国に継承され、より大々的かつ体系的に制度化される。 帝国の奴隷制には、主としてコーカサス・東欧方面から調達される白人系奴隷と、従来のザンジュ奴…

関東代官伊奈氏列伝(連載第2回)

一 伊奈忠次(1550年‐1610年)/忠政(1585年‐1618年)/忠勝(1611年‐1619年) 伊奈忠次は、関東代官伊奈氏の初代に当たる人物である。彼は伊奈氏が信州から三河に移住して四世代目に相当するが、父忠家は嫡男ではなく、本宗家筋で…

私家版琉球国王列伝(連載第1回)

序 近年の沖縄県の話題と言えば「基地問題」が圧倒的であり、王国時代の琉球史が本土で顧みられることはほとんどない。当の沖縄でも王国時代は過去の歴史となり、日本領土の一部たる「沖縄県」であることは当然の前提となっているように見える。 しかし、琉…

仏教と政治―史的総覧(連載第20回)

七 日本仏教と政治 鎮護仏教から救済仏教へ 6世紀に百済経由で日本に伝来した仏教は7世紀の飛鳥時代までに深く定着し、国家の保護を受けることに成功した。律令制の整備を経て、8世紀初頭に開かれた奈良朝では仏教は護国の精神的支柱となり、鎮護国家思想…

関東代官伊奈氏列伝(連載第1回)

序 筆者が育ったさしたる名所旧跡もない街の隣接市に通称赤山城址がある。おそらくここが筆者の街から最寄の城址と思われる。城址といっても、正確には旗本陣屋であり、天守を持つような派手な城ではない。 広大な跡地は現在では私有地や公園となり、往時を…

弥助とガンニバル(連載第2回)

一 プロローグ :アフリカ奴隷貿易の始まり アフリカ人を捕縛して連行、奴隷として市場で売買するアフリカ奴隷貿易の始まりを正確に捉えることは難しいようだが、少なくともこれをシステマティックに始めたのは、アラブ人商人であったことは間違いない。アラ…