歴史の余白

内外の埋もれた歴史を再発見するブログ

〆私家版足利公方略紀

私家版足利公方実紀(連載最終回)

二十三 足利義尋(1572年‐1605年) 足利義尋〔ぎじん〕は最後の室町将軍足利義昭の庶長子であるが、義昭は正室を持たなかったため、義尋が嫡男扱いとなる。だが、彼は1歳の時、父が信長に京都を追放され、幕府が崩壊した後、信長の人質となったうえ…

私家版足利公方実紀(連載第18回)

二十二 足利晴氏(1508年‐1560年)/義氏(1541年‐1583年) 古河公方体制終末期の4代足利晴氏・5代義氏父子時代(1535年~83年)は、室町幕府ではおおむね12代義晴から最後の15代義昭にかけての時代と重なっている。すでに見た…

私家版足利公方実紀(連載第17回)

二十一 足利義昭(1537年‐1597年) 室町幕府最後の将軍となった足利義昭は12代将軍義晴の次男として生まれ、幼少の時に興福寺の僧となったが、兄の13代将軍義輝が永禄の変で三好三人衆らに暗殺され、三人衆が擁立した14代義栄も一度も入京でき…

私家版足利公方実紀(連載第16回)

二十 足利義維(1509年‐1573年)/義栄(1538年‐1568年) 足利義維〔よしつな〕は11代将軍義澄の次男である。年齢上は長男であったが、何らかの事情で異母弟の義晴が嫡男たる長男とされたため、当初は将軍候補から外され、京都を出奔した…

私家版足利公方実紀(連載第15回)

十九 足利義輝(1536年‐1565年) 足利義輝は、12代将軍義晴の嫡男として、天文十五年(1546年)、11歳で将軍位を譲られた。しかし当時は義晴が近江に避難中であったため、就任式も近江で執り行われた。実権は義晴が死去する同十九年(50年…

私家版足利公方実紀(連載第14回)

十八 足利義晴(1511年‐1550年) 足利義晴は、先代の10代将軍義稙に将軍の地位を追われた11代将軍義澄の子として、幼少期には赤松氏、次いでこれを下克上により破った浦上氏のもとで庇護・養育されるなどの苦労を味わった。 そんな彼に将軍のお…

私家版足利公方実紀(連載第13回)

十六 足利政氏(1462年‐1531年)/高基(1485年‐1535年) 足利政氏は、古河公方初代足利成氏から生前譲位を受けて2代古河公方に就任した。享徳の乱を戦い抜いて古河公方の地位を確立した父から有利な条件で家督を譲られたはずの政氏であっ…

私家版足利公方実紀(連載第12回)

十四 足利義澄(1481年‐1511年) 足利義澄は、明応二年(1493年)、細川政元が主導したクーデター・明応の政変により先代で従兄に当たる10代将軍足利義材〔よしき〕が追放された後を受けて11代将軍に擁立された。しかし、このような不正常な…

私家版足利公方実紀(連載第11回)

十三 足利成氏(1438年or34年‐1497年) 足利成氏〔しげうじ〕は、永享の乱で敗死した第4代鎌倉公方足利持氏の遺児であった。乱による混乱からか、生年が確定していない。しかし、乱後の延長戦として起きた結城合戦で結城氏に担ぎ出されて敗北、幕…

私家版足利公方実紀(連載第10回)

十一 足利義政(1436年‐1490年)/義尚(1465年‐1489年) 8代将軍足利義政は父義教暗殺、兄義勝夭折というお家の危機に、8歳で将軍位に就いた。兄が長生していれば将軍になることもなく、数奇者として生涯を終えることもできたろうに、不…

私家版足利公方実紀(連載第9回)

十 足利持氏(1398年‐1439年) 足利持氏は、足利義持から義教にかけての時代に並立した第4代鎌倉公方である。先代鎌倉公方の父満兼の死去に伴い、12歳ほどで鎌倉公方となったため、当初は関東管領・上杉氏憲(禅秀)が実権を持った。 この時期の…

私家版足利公方実紀(連載第8回)

九 足利義教(1394年‐1441年)/義勝(1434年‐1443年) 足利義教は、甥の5代将軍義量が早世した後、兄の先代将軍義持に世子がなかったことから、義持の存命中の4人の弟の中からくじで選ばれるという前代未聞の経緯で6代将軍に就任した。…

私家版足利公方実紀(連載第7回)

八 足利義持(1386年‐1428年)/義量(1407年‐1425年) 足利義持は3代将軍義満の子で、応永元年(1394年)に9歳で将軍位を譲られた。しかし、当然にも親政は無理で、義満が死去するまでは、父が大御所として実権を保持していた。従っ…

私家版足利公方実紀(連載第6回)

六 足利氏満(1359年‐1398年) 2代鎌倉公方・足利氏満とその息子の3代・満兼父子は、3代将軍・義満とほぼ同時代的に並立した鎌倉公方であり、ともに義満から名前の偏諱を授かりながら、その生涯は父子ともども義満への反抗に彩られていた。 その…

私家版足利公方実紀(連載第5回)

五 足利義満(1358年‐1408年) 足利将軍中でも最も著名な3代将軍義満は、父・義詮の死去に伴い、11歳で将軍に就任した。このように年少での後継となったため、当初は管領・細川頼之が政治の実権を持った。細川氏は足利氏庶流から出た足利一門であ…

私家版足利公方実紀(連載第4回)

三 足利義詮(1330年‐1367年) 足利義詮〔よしあきら〕は、室町幕府を開いた尊氏の嫡男であるが、実際は、上に二人の異母兄がいた。しかし、どちらも庶子だったため、正室との間の長男であった義詮が嫡男となる。従って、父が幕府を建てた頃はまだ幼…

私家版足利公方実紀(連載第3回)

二 足利尊氏(1305年‐1358年) 足利尊氏は、先代貞氏の次男として鎌倉時代末期に生誕したが、本来足利氏の家督は貞氏の出家後いったんは異母兄の高義が継いでいた。しかし、高義は20歳ほどで夭折したため、貞氏が復帰していた。 以後、貞氏は存命…

私家版足利公方実紀(連載第2回)

一 足利貞氏(1273年‐1331年) 室町幕府を開いた足利氏は、清和源氏の流れを汲む源氏一門であり、河内源氏棟梁・源義家の四男・義国が下野国足利荘を拝領したことで、その次男・義康以降、足利氏を名乗るようになった。このように足利氏は源氏一門と…

私家版足利公方実紀(連載第1回)

序 14世紀から16世紀後半にかけて、周知のように、日本では京都に武家政権機構である幕府と天皇の朝廷とが並立するという独異な時代―いわゆる室町時代―を経験した。言わば軍事政権と宮廷が並存したわけで、しかも幕府も基本的に世襲制であったから、一種…