歴史の余白

内外の埋もれた歴史を再発見するブログ

私家版アイヌ烈士列伝(連載第5回)

五 ハウカセ(生没年不詳) シャクシャインと同時代、シャクシャインとは全く異なるタイプの烈士がいた。石狩川流域を本拠地とし、その勢力圏が南はオタルナイ(小樽)、北はマシケ(増毛)方面にも及んだと言われる惣乙名ハウカセである。和人から「石狩の…

パレスティナ十字軍王国史話(連載第3回)

二 女王メリザンド パレスティナ十字軍王国は「王国」とはいえ、実態はフランス貴族の在外領地に近いものであったため、王権の継続性の担保が弱く、たびたび王統が変わっている。男性権力も脆弱であり、しばしば実権を持つ共治女王を輩出した。その最初の例…

弾左衛門矢野氏列記(連載第5回)

五 矢野弾左衛門集村(1698年‐1758年) 4代目弾左衛門集久が死去した後、公式には孫の集村(幼名・浅之介)がわずか12歳で襲名したことになっているが、浅之介には父・吉次郎がいた。吉次郎は正式の襲名前に死亡したものと見られているが、死亡年…

松平徳川女人列伝(連載第12回)

十八 広大院(1773年‐1844年) 8代将軍徳川吉宗の享保の改革は大奥にも及び、その職員数の削減はもとより、妻妾の数や大奥の隠然たる政治的影響力もそがれることになった。そのため、吉宗からその子・家重、孫の家治に至る三代の妻妾からは特筆すべ…

ロマニ流浪史(連載第4回)

三 ビザンツ帝国のロマニ ロマニと見られる集団が欧州地域で最初に確認されたのは、ビザンツ帝国である。ビザンツは西アジアと欧州をつなぐ位置にあり、欧州への入り口であったから、ペルシャやアナトリアを経由して西へ移動していったロマニが最初に現れる…

弾左衛門矢野氏列記(連載第4回)

四 矢野弾左衛門集久(?~1709年) 4代目弾左衛門集久は幼名を介次郎といい、祖父や父と同様に次男のようである。4代目集久は、曾祖父に当たる初代から三代にわたる時代に整備された弾左衛門制度の基礎の上に、歴代最長の40年間在職し、後述のよう…

もう一つの中国史(連載第14回)

五 遊牧民族の時代Ⅰ (2)北魏の覇権 鮮卑慕容部に続いて勢力を伸張させてきたのは、同じ鮮卑系部族の拓跋部である。拓跋部は内モンゴルのフフホトを根拠地とする部族集団であったが、4世紀初頭に西晋を助けて匈奴系の前趙と交戦した功績で華北に領土を安…

インドのギリシャ人(連載第4回)

Ⅲ メナンドロス王の登位と全盛 アポロドトス1世がインドにおけるギリシャ人王朝をいちおう樹立しても、そのまま子孫が王位を継承していく安定的な王権を確立することはできなかった。インドのギリシャ人はよそ者ということもあったが、それ以上に、当地のギ…

弾左衛門矢野氏列記(連載第3回)

二 矢野弾左衛門集季(?~1640年) 弾左衛門を先代から襲名した最初の世代となる2代目弾左衛門は幼名を小次郎といい、次男と見られる。その点、初代には関ヶ原の戦い当時15歳の小太郎という長男と見られる一子があって、天然痘に感染したが、白山神…

クルド人の軌跡(連載第6回)

二 クルド人の全盛 アイユーブ朝の短い天下 サラーフッディーンが創始したアイユーブ朝は、彼の死後もエジプトを基盤に版図を拡大し、シリア、パレスティナ、イエメン西部にもまたがる超域的な領域国家に成長した。これはクルド人が世界史の中で主役を演じた…

パレスティナ十字軍王国史話(連載第2回)

一 十字軍四人衆 1095年に時のローマ教皇ウルバヌス2世の呼びかけにより、キリスト教の聖地エルサレムをイスラーム勢力から奪回することを目指して開始された第一回十字軍運動は宗教的熱狂に駆られた集団的運動であり、特定の際立ったヒーローを輩出す…

弾左衛門矢野氏列記(連載第2回)

一 弾左衛門矢野集房(?~1617年) 弾左衛門初代となる矢野集房(または集方)は、江戸幕府開祖・徳川家康と同時代をほぼ並行的に生きた人物であるが、その実像は弾左衛門歴代の中で最も不確かである。その点、徳川=松平氏始祖とされる松平親氏と同様…

弾左衛門矢野氏列記(連載第1回)

序 弾左衛門矢野氏は、江戸時代、士農工商四身分の外にあった下層民(えた/ひにん)の頭領として、刑罰の執行役をはじめ、えた/ひにんに任された業務を統括した幕府役人であった。弾左衛門はその職名であり、矢野氏はその職を代々襲名・世襲し、江戸時代の…

もう一つの中国史(連載第13回)

五 遊牧民族の時代Ⅰ (1)遊牧諸民族と五胡十六国 中国史において北方及び西方の遊牧諸民族の果たした役割は、極めて大きなものがある。大きく俯瞰して、三国時代に続く五胡十六国時代以降モンゴル帝国版図に中原が組み込まれた元の時代までのおよそ千年間…

白川郷内ケ島氏興亡物語(連載第3回)

三 内ケ島氏と正(照)蓮寺 白川郷内ケ島氏を語るうえで欠かすことができないのは、かつて白川郷にあった一向宗寺院正蓮寺との因縁である。正蓮寺は鎌倉時代の建長年間に親鸞の直弟子・嘉念坊善俊が建立した浄土真宗寺院である。 その後、正蓮寺は地元に深く…

パレスティナ十字軍王国史話(連載第1回)

序 パレスティナ十字軍王国は、第一回十字軍の活動の結果、エルサレムを占領した十字軍によって建国されたキリスト教国家である。同時期に中東レバント地域に建国された四つの十字軍国家の一つと紹介されることもあるが、その200年近い持続性と国家として…

ユダヤ人の誕生(連載最終回)

Ⅵ ユダヤ人の確立 (18)「パレスチナ人」の分岐 古代ユダヤの亡国後、相当数のユダヤ人が海外に離散し、ディアスポラとなったが、ローマ帝国はかつてのアッシリア帝国のように強制移住政策を採らなかったから―ただし、相当数のユダヤ人捕虜を奴隷として売…

ユダヤ人の誕生(連載第18回)

Ⅵ ユダヤ人の確立 (17)キリスト教徒の分離 キリスト教創始者ナザレのイエスが生まれたのは、ヘロデ大王末年の紀元前4年とされる。新約によれば、ヘロデ大王は新たな王がベツレヘムで生誕したとの情報を得て、ベツレヘムの2歳以下の男児全員の殺害を命…

ユダヤ人の誕生(連載第17回)

Ⅵ ユダヤ人の確立 (16)同系民族の征服 ユダヤ人という民族概念は血統的なものではなく、宗教的なもの、すなわち「ユダヤ人=ユダヤ教徒」である。こうした宗教的民族概念が形成されたのは早くともハスモン朝全盛期と見られ、それ以前は血統的民族概念と…

アフガニスタン形成史(連載第3回)

二 アフガニスタンの形成概観 山岳国家アフガニスタンにおいて、北東部の首都カーブルと南部のカンダハル、北西部のヘラートは人口が集中する三大都市として枢要な位置を占めているが、近代以降のアフガニスタンは各々異なる歴史を持つこの三大都市が基軸と…

欧州超小国史(連載第8回)

Ⅰ サン・マリーノ至穏共和国 (7)第一次世界大戦とファシズムの浸透 イタリア統一後も、イタリアの一部とならず、改めて近代国家として独立を固守したサン・マリーノであったが、大国化したイタリアに四方を囲まれたマイクロ内陸国としての地政学上、イタ…

ユダヤ人の誕生(連載第16回)

Ⅴ ローマ支配から亡国まで (15)抵抗運動と挫折 前回述べたように、一時的に実質上ヘロデ朝を復活させたアグリッパ1世が44年に死去した後、そのローマ育ちの息子アグリッパ2世はもはやローマ帝国の完全な傀儡にすぎなかった。第一次ユダヤ戦争はそう…

ユダヤ人の誕生(連載第15回)

Ⅴ ローマ支配から亡国まで (14)ヘロデ朝の終焉と亡国 ヘロデ大王は30年以上独裁者として君臨した後、紀元前4年に没したが、彼が創始した王朝(ヘロデ朝)は、初代ヘロデ大王時代を全盛とし、大王の死に際しておそらくは宗主国ローマの意向を呈した大…

ユダヤ人の誕生(連載14回)

Ⅴ ローマ支配から亡国まで (13)最初のユダヤ人・ヘロデ大王 ハスモン朝を倒したのは、ローマ帝国と結んだヘロデであった。彼は元来ユダヤ民族ではなく、イドマヤ人の出自であった。聖書上、イドマヤ人はユダヤ民族始祖ヤコブの兄エサウを祖とする兄弟民…

もう一つの中国史(連載第12回)

四 西方諸民族の固有史 (3)チベット系諸民族の興隆 西域の手前には、古くからチベット系諸民族が展開していた。中国語とチベット語は言語学上包括してシナ・チベット語族を形成することからも、漢民族とチベット民族は言語学的に共通祖語を持つ可能性もあ…

もう一つの中国史(連載第11回)

四 西方諸民族の固有史 (2)オアシス都市国家群の盛衰 月氏が西域で優勢だった頃、より西のタリム盆地オアシスにも、著名な楼蘭(クロライナ)をはじめとする小さなオアシス都市国家群が成立していた。これらの諸国家の起源や民族・言語系統はいまだ解明さ…

もう一つの中国史(連載第10回)

四 西方諸民族の固有史 (1)月氏の展開と移動 中国の西方は、今日では新疆に包摂されるいわゆる西域を中心として、そこに接続する甘粛省やチベット地域、チベットの延長部分とも言える青海省なども含む広大な地方である。 そのうち、ひとまずチベットにつ…

欧州超小国史(連載第7回)

Ⅰ サン・マリーノ至穏共和国 (6)近代化と民主化の転機 1815年ウィーン会議で正式にサン・マリーノの独立が再確認された後、イタリアが1862年に念願の統一を果たした際も、サン・マリーノは統一イタリアに参加することは選択せず、友好条約により…

ノルマンディー地方史話(連載第18回)

第18話 シャルロット・コルデー フランス革命期のノルマンディーが生んだ著名人としては、暗殺者シャルロット・コルデーが異彩を放っている。コルデーはやはりノルマンディー出身の劇作家ピエール・コルネイユの子孫に当たる旧家の出だったが、母と死別後…

シリーズ:失われた権門勢家(連載第6回)

六 カロリング家 (1)出自 メロヴィング朝分国アウストラシアの宮宰ピピン1世(老ピピン)を家祖とするゲルマン系フランク族の豪族。老ピピンの父の名がカールマンと伝えられることからカロリングの家名がついたが、カールマンの事績は不詳で、老ピピンの…