歴史の余白

内外の埋もれた歴史を再発見するブログ

外様小藩政治経済史(連載第15回)

四 福江藩の場合 (2)経済情勢 福江藩が支配する五島列島は全般に山がちであり、農業適地とは言えず、稲作より畑作に傾斜していた反面、水産資源には恵まれており、藩の財政も水産に支えられていた。その点では、北海道の松前藩と同様、石高制による領地安…

シチリアとマルタ―言語の交差点(連載第7回)

六 イスラーム支配とシチリア・アラビア語 ビザンティン帝国の支配下にあったシチリアは、9世紀以降、ビザンティンの支配力の低下に伴い、北アフリカ方面から侵攻してきたイスラーム勢力により蚕食されていく。9世紀前半から11世紀末まで続くイスラーム…

土佐一条氏興亡物語(連載第3回)

三 公家大名・土佐一条氏の誕生 土佐一条氏が、公家から大名に転化していったのは、土佐に疎開した一条教房が現地で晩年にもうけた次男房家の代以降である。彼は教房疎開中の土佐疎開中の文明七年(1475年)、父が50歳を過ぎてから、地元土豪の娘との…

クルド人の軌跡(連載第3回)

一 クルド人の形成 イスラーム化と地域首長国の形成 中世におけるクルド人の活動が史料に現れるのは、10世紀半ばである。それまでクルド人は国家的なまとまりを持たず、部族ごとに遊牧生活を営んでいたと考えられるが、10世紀になると地域ごとにいくつか…

松平徳川女人列伝(連載第6回)

九 千姫(1597年‐1666年) 正室が形式上の妻にすぎず、子がないことも少なくなかった歴代徳川将軍の中にあって、2代将軍秀忠と正室の江(崇源院)の間には、五女二男があった。そのうち、長子にして長女が千姫である。生年は豊臣時代の慶長二年だが…

欧州超小国史(連載第2回)

Ⅰ サン・マリーノ至穏共和国 (1)建国者・聖マリヌス サン・マリーノは、建国者とされる人物マリヌスの個人名をそのまま国名とする稀有の国である。石工出身と言われるマリヌスは名前しか判明していない半伝説的な人物であるが、まさに伝説によれば、彼は…

外様小藩政治経済史(連載第14回)

四 福江藩の場合 (1)立藩経緯 福江藩は、五島列島全域を支配地とする数少ない離島藩の一つである。藩主家は、鎌倉時代頃より一貫して五島列島の有力者であった五島氏が立藩から明治維新後の廃藩まで固定されたという点で、完全に土着固定型の藩であった。…

シチリアとマルタ―言語の交差点(連載第6回)

五 ゲルマン時代/ビザンティン時代の言語事情 ローマ帝国の東西分裂と西ローマ帝国の弱体化、それに付け入る形でのゲルマン人の膨張・大移動という地政学状況の変化は、それまでローマ帝国の支配下にあったシチリアとマルタの言語事情にも微妙な影響を及ぼ…

欧州超小国史(連載第1回)

小序 世界には、人口10万人に満たない小都市レベルの独立小国が散在している。独立国として運営できていることが信じられないほど小さなこれらの国を、ここでは「超小国」と呼ぶ。 これら超小国の多くは南太平洋やカリブ海域の島国であり、独立国としての…

ユダヤ人の誕生(連載第6回)

Ⅱ 「出エジプト」の真相 (5)ヒクソスの駆逐 旧約の出エジプトはそれだけで一冊の書にまとめられた壮大な物語である。それによると、ヤコブ一族のエジプト定着後、ユダヤ民族はエジプトで地歩を築いていたが、ユダヤ民族が増えすぎたことから、ファラオは…

松平徳川女人列伝(連載第5回)

八 崇源院(1573年‐1626年) 江の名のほうが知られる崇源院は徳川2代将軍・秀忠の継室にして、3代将軍家光の生母でもある。出自は浅井氏だが、母を介して織田信長の姪にも当たる。徳川歴代将軍の正室として京都の公家・皇族息女を娶る慣習が確立す…

シリーズ:失われた権門勢家(第2回)

二 アレクサンドロス大王家(紀元前336年‐同309年) (1)出自 ギリシャ系マケドニア王国の第7代国王アレクサンドロス3世(大王)を始祖とする帝室。アレクサンドロス大王が出自したアルゲアス朝は、伝説上の英雄ヘラクレスを始祖とするヘラクレス…

ノルマンディー地方史話(連載第13回)

第13話 ノルマン慣習法とノルマン憲章 イングランド・プランタジネット朝「欠地王」ジョンが、フランス・カペー朝「尊厳王」フィリップ2世に敗れ、ノルマンディー地方を失った後も、イングランドは公式に領有権を主張し続け、最終的にノルマンディー地方…

外様小藩政治経済史(連載第13回)

三 狭山藩の場合 (4)幕末廃藩 小藩の幕末はいずれもかなり苦しいものとなったが、狭山藩も例外ではなかった。ただ、狭山藩の最後の二人の藩主がそれなりに手腕を持った英君と呼んでもよい人物であったことは、狭山藩の幕末を比較的穏やかなものにしたと言…

ユダヤ人の誕生(連載第5回)

Ⅱ 「出エジプト」の真相 (4)「入エジプト」の経緯 旧約で最重要のトピックと言えば、「出エジプト」である。この物語は聖書を超えて、ユダヤ民族にとってのバックボーンでもある。カナンの地を本貫としたユダヤ民族にとって「出エジプト」は当然「入エジ…

松平徳川女人列伝(連載第4回)

六 雲光院(1555年‐1637年)/英勝院(1578年‐1642年) 徳川家康の数多い側室の中には、子を産むよりも、奥向きの実務で手腕を見せた人もいる。その代表格は、雲光院である。阿茶局とも称されるが、同じく側室の茶阿局と紛らわしいため、出…

シリーズ:失われた権門勢家(第1回)

☆☆☆世界には、権門勢家として一度は権勢を享受しながら、様々な事情により子孫が絶え、失われた一族が存在する。そうした内外の失われた権門勢家を(1)出自(2)事績(3)断絶経緯(4)伝/称後裔氏族等に分けて、追跡することが当連載の趣意である。そ…

ノルマンディー地方史話(連載第12回)

第12話 獅子心王vs尊厳王vs欠地王 イングランドにノルマン朝を継承する形でフランス系のプランタジネット朝が成立すると、ノルマンディー地方はイングランドの海外領土のような地位に納まったわけだが、フランスは大陸にあって自国の一部のようなノル…

シチリアとマルタ―言語の交差点(連載第5回)

四 ローマ時代とラテン語 シチリアとマルタは、紀元前3世紀後半、カルタゴを破ったローマ帝国の手にほぼ同時に渡った。当時のシチリアとマルタには、言語文化的に相違があったが、ローマ的地政学によれば、シチリアとマルタは一体的と認識されたから、両者…

外様小藩政治経済史(連載第12回)

三 狭山藩の場合 (3)社会動向 狭山藩は、戦国期に小田原を拠点に関東一円を広域支配し、豊臣氏に滅ぼされていなければ天下人となっていたかもしれなかった北条氏が、恭順を誓った徳川幕府の「名門」保存政策の恩恵を受け、縁のない畿内の河内地方に小大名…

クルド人の軌跡(連載第2回)

一 クルド人の形成 民族揺籃期 初回でも見たように、クルド人の発祥は謎に包まれているが、クルド人自身の伝承によれば、クルド人はメディア人の末裔であるとされる。メディア人はイラン北西部を拠点とし、紀元前8世紀から同6世紀にかけて強力な王国を形成…

松平徳川女人列伝(連載第3回)

四 長勝院(1548年‐1620年)/西郷局(1552年?‐1589年) 一般的に、戦国・近世大名の側室は、家門の継承という大名家存続の条件を保証するために、正室の負担を補う目的から積極的に利用されていたが、とりわけ松平徳川家においては側室の…

ユダヤ人の誕生(連載第4回)

Ⅰ ユダヤ民族の原郷 (3)聖書カナン人と原カナン人 前回、ユダヤ民族は「カルデアのウル」から約束の地カナンへ移住してきたのではなく、初めからカナンに居住していたと述べた。この考えによれば、ユダヤ民族にとってカナンは神から約束された異郷ではな…

ノルマンディー地方史話(連載第11回)

第11話 「ノルマン人征服」後のノルマンディー ノルマンディー公ギヨーム2世が力づくでイングランドを征服し、ノルマン朝イングランド国王ウィリアム1世として即位すると、ノルマンディーの位置づけはいささか微妙になった。初代ロロ以来の本拠地ノルマ…

外様小藩政治経済史(連載第11回)

三 狭山藩の場合 (2)経済情勢 狭山藩の本拠が置かれた河内狭山には、日本最古の灌漑用人口池とされる狭山池が所在している。その開削時期には諸説あるが、遺構の検証からは7世紀の飛鳥時代まで遡ることは確実と見られている。 元来、狭山地域は『日本書…

シチリアとマルタ―言語の交差点(連載第4回)

三 フェニキア人の植民とマルタ語 フェニキア人の入植活動は地中海域全般に及んだから、マルタ島もその例外ではなかった。紀元前8世紀頃、フェニキア人の最初期の拠点であった現レバノンのティルスから最初の集団的な入植があったと見られ、フェニキア人の…

クルド人の軌跡(連載第1回)

一 クルド人の形成 謎に包まれた発祥 クルド人は、国家を持たない世界最大民族集団(総人口約3000万人)とも呼ばれるが、それは近現代において、ごく短期間を除き、独自の国民国家を形成することがないまま、トルコ、シリア、イラク、イランを中心とした…

松平徳川女人列伝(連載第2回)

二 築山殿(?‐1579年)/徳姫(1559年‐1636年) 松平徳川女人の中でも、とりわけ悲劇的な最期を遂げたのが、徳川家康の最初の正室だった築山殿である。本名も生年も不詳という戦国時代の女性にはありがちな情報不足であるが、父は今川一門の関…

ノルマンディー地方史話(連載第10回)

第10話 「ノルマン様式」の不思議 「ノルマン様式」とは、建築史の用語で、その名のとおり、ノルマン人の城塞や教会の建築に特有の様式を指している。しかし、興味深いことに、「ノルマン様式」は、1066年のノルマンディー公ギヨーム2世によるイング…

シチリアとマルタ―言語の交差点(連載第3回)

二 フェニキア人・ギリシャ人の植民とシチリア語 シチリアとマルタにおける本格的な文明時代の始まりは、フェニキア人・ギリシャ人の植民活動によってもたらされる。特にシチリアには紀元前8世紀頃から両民族の入植が開始されるが、入植時期はフェニキア人…