歴史の余白

内外の埋もれた歴史を再発見するブログ

〆神道と政治―史的総覧

神道と政治―史的総覧(連載最終回)

八 議会神道の時代 議会神道と新国粋主義 国政選挙を通じて議会に影響力を拡大していった神社本庁は、2000年以降、明確な政治的アジェンダを推進していくようになる。特に首相の「日本の国、まさに天皇を中心としている神の国」発言で波紋を呼んだ200…

神道と政治―史的総覧(連載第24回)

八 議会神道の時代 議会神道への道 連合国軍による占領下、「神道指令」によって国家神道が禁じられる中で、神道界の統一団体として設立されたのが神社本庁であったが、1952年の占領終了と日本の主権回復は、神道界にとっての重要なエポックとなった。 …

神道と政治―史的総覧(連載第23回)

八 議会神道の時代 「神道指令」と国家神道の解体 戦時体制下で、全体主義の精神的支柱となった国家神道は、敗戦とそれに続く連合軍の占領下で解体される運命にあった。その根拠となったのが、終戦の年1945年12月に連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)…

神道と政治―史的総覧(連載第22回)

七 国家神道の圧制 軍国神道への展開 国家神道は、明治憲法体制が明治後期以降、帝国主義へ傾斜していく中で、次なる展開を見せ始める。それは軍事と結びついた言わば軍国神道である。その最初の契機は明治12年に東京招魂社が靖國神社と改称され、実質的に…

神道と政治―史的総覧(連載第21回)

七 国家神道の圧制 「神道=非宗教」テーゼ 神道を宗教として公式に国教化することを早々と断念した明治政府であったが、神道のイデオロギー化そのものを放棄したわけではなかった。たしかに神道は表向き国教として打ち出されなかったが、その代わりに「神道…

神道と政治―史的総覧(連載第20回)

七 国家神道の圧制 王政復古と神道 幕末倒幕運動の精神的・宗教的なバックボーンとなったのは、復古神道ないしはそれの直接間接の影響下にある神道思想であった。このことが、近代化革命としての歴史的意義を持つ明治維新をして、他方では王政復古・祭政一致…

神道と政治―史的総覧(連載第19回)

六 復古神道への道 垂加神道と復古神道 林羅山が広めた神儒合一論は幕藩体制下の御用宗教となり、体制との密着性を強めたが、それは当然にも幕府支配の正統性を根拠づけることに狙いがあった。これに対する反発は同じ神儒合一論内部から現れた。山崎闇斎の創…

神道と政治―史的総覧(連載第18回)

六 復古神道への道 神儒合一論と徳川幕府 室町時代に吉田神道が神道界を制圧した後、戦国時代に入ると、戦国大名らはその出自の不確かさを補うかのように、自己を神格化する趣向を大なり小なり示したが、その頂点に立ったのが天下人神道であった。これは、宗…

神道と政治―史的総覧(連載第17回)

六 復古神道への道 神国思想の興隆 神道はその後に流入してきた儒教や仏教―特に仏教―の影響を受け、習合宗教の色彩を強めていったが、こうした文化融合に対しては反動が現れるのが常である。神道においては、仏教と習合した本地垂迹説に対する反動が南北朝時…

神道と政治―史的総覧(連載第16回)

五 天下人神道 東照宮と江戸幕府 天下人を神格化する天下人神道の集大成は、徳川家康によって行なわれた。彼は臨終前の遺言で、実に事細かに神格化の手順を指示している。それはまず本拠駿府の久能山に遺体を安置したうえ、一周忌を終えた後、日光山と京都金…

神道と政治―史的総覧(連載第15回)

五 天下人神道 豊臣秀吉と豊国神社 天下人を神格して祀る「天下人神道」が本格的に創始されるのは、戦国時代以後である。戦国の天下人たちはそれ以前の源氏に象徴される皇族由来の「由緒」ある武家ではなく、出自も不確かな下克上大名から出ているため、それ…

神道と政治―史的総覧(連載第14回)

五 天下人神道 武家の八幡神信仰 武家社会になると、天下を目指す武家が積極的に氏神を奉じ、家運と戦勝祈願の対象とするようになり、ついには自身を神格化した宗教施設の築造に及ぶ者まで現れた。こうした天下人―その志望者も含め―が奉じる神道は、当然にも…

神道と政治―史的総覧(連載第13回)

四 神道の軍事化 戦国時代と神職武家 戦国時代に入ると、神職武家もいやおうなく戦国動乱に巻き込まれていく。織田氏神職出自説を採るなら、神職武家として最も強大化したのは織田氏だったことになるが、これは前回も述べたとおり、仮説的な域を出ていない。…

神道と政治―史的総覧(連載第12回)

四 神道の軍事化 神職武家の誕生 武家支配体制が確立されると、有力神社の神職一族も次第に武装化し、武家化していく傾向を生じた。そうした神官武家の代表格として、前回見た熊野に関連の深い藤白鈴木氏がある。鈴木氏は神道の祖とも言える物部氏正統の古代…

神道と政治―史的総覧(連載第11回)

四 神道の軍事化 熊野別当と武家政権 前章末尾で見たように、平安時代末の院政期になると、熊野三山が院の庇護を受けて政治的にも伸張したのであるが、熊野別当家は同時に軍事力も獲得するようになる。特に熊野水軍である。熊野水軍は紀伊半島南東部の熊野灘…

神道と政治―史的総覧(連載第10回)

三 律令的神道祭祀の確立 院政と熊野信仰 平安時代までに日本神道のあり方として定着した神仏習合が平安末期の複雑な政治情勢の中で独特の形態をまとって発現したのは、熊野信仰であった。紀伊の熊野には古くから山岳信仰の場として何らかの宗教的施設がすで…

神道と政治―史的総覧(連載第9回)

三 律令的神道祭祀の確立 鎮護国家と神仏習合 前回見たように、律令制の下、神道は神祇官によって中央管理される儀礼的な宗教として確立される一方、律令制確立期である奈良時代には、仏教が朝廷によっても高く奉じられるようになる。特に聖武天皇と光明皇后…

神道と政治―史的総覧(連載第8回)

三 律令的神道祭祀の確立 神祇官の創設 持統天皇時代に最初の整備がなされ、彼女が準備した続く奈良朝下で完成を見た日本型律令体制においては、神道の管理も律令的統治の中に明確に位置づけられた。朝廷の祭祀を統括する神祇官の職制がそれである。 神祇官…

神道と政治―史的総覧(連載第7回)

二 天皇制の創出と神道 第二次宗教改革:「天照神道」の確立 仏教を定着させた蘇我体制(蘇我王朝―私見)は、半世紀ほど続いた後、7世紀半ばのいわゆる大化の改新によって倒され、旧王朝が復活した。この復活王朝(後昆支朝―詳しくは拙稿参照)は、二度と王…

神道と政治―史的総覧(連載第6回)

二 天皇制の創出と神道 宗教戦争:仏教との相克 昆支大王による宗教改革の成果は永続的なものであり、その基本路線は以後、ヤマト王権により継承されていくが、6世紀の欽明天皇(大王;当時、天皇号はまだ存在しなかった)の時代になると、王朝開祖である昆…

神道と政治―史的総覧(連載第5回)

二 天皇制の創出と神道 第一次宗教改革:イヅモ神道の導入 神道はヤマト王権の祭政一致体制を支える宗教的基盤となり、やがて天皇制律令国家の制度的基盤ともなるわけであるが、そこへ至るまでの過程は想定されている以上に複雑である。 すなわち、二つの大…

神道と政治―史的総覧(連載第4回)

一 古代国家と神道の形成 ヤマト神道とイヅモ神道 いわゆる古墳時代は、全国に16万基を越える膨大な数の古墳が特定されていることからもわかるとおり、極めて地域性の強い首長制国家の乱立時代であったが、その中から、畿内を拠点とするいわゆるヤマト王権…

神道と政治―史的総覧(連載第3回)

一 古代国家と神道の形成 首長国家と氏族祭祀 邪馬台国は弥生時代最末期のクニの集大成と言えるものであったが、『魏志倭人伝』の記述によれば、当時の倭では人が死ぬと、土を封じて塚を作ったとある。こうした盛り土型の墳墓が各地に盛んに築造された時代が…

神道と政治―史的総覧(連載第2回)

一 古代国家と神道の形成 邪馬台国と国家祭祀 神道は特定の創始者と創始年を特定できない伝統宗教であり、原初のアニミズムに起源を持つことはほぼ間違いない。そのため、初めから政治との関わりが濃厚だったいわゆる世界三大宗教とは異なり、元来は民間信仰…

神道と政治―史的総覧(連載第1回)

小序 当連載は、日本の伝統宗教である神道と政治との関わりについて、史的に総覧することを目的とする。先般、筆者は「仏教と政治」に関しても、世界史的な視野から史的な総覧を試みたところであるが、当連載はそれに引き続く姉妹的な連載として位置づけられ…