歴史の余白

内外の埋もれた歴史を再発見するブログ

2014-07-01から1ヶ月間の記事一覧

私家版松平徳川実紀(連載第14回)

十四 徳川吉宗(1684年‐1751年) 享保元年(1716年)に7代将軍徳川家継が夭折したことで、ついに2代将軍秀忠ラインの徳川宗家は断絶した。そのため、御三家の中で将軍位継承権を持つ尾張藩または紀州藩から後継者を出す時がきた。 当時政権の…

抵抗の東北史(連載第4回)

三 征服と抵抗(上) 百済滅亡後の畿内朝廷は、新羅と同盟していた敵方の唐の制度にならった律令制国家の建設に邁進していく。それが飛鳥時代最末期の大宝律令の制定で一段落すると、中断していた東北遠征が再開される。8世紀初頭、日本海側に出羽柵が設置…

私家版松平徳川実紀(連載第13回)

十三 徳川家宣(1662年‐1712年)/家継(1709年‐1716年) 徳川家宣は3代将軍家光の孫で、先代将軍綱吉の甥に当たるが、綱吉に男子継承者がなかったことから、甲府藩主だった家宣が後継者に決定した。元来後継候補としては、綱吉の長女が嫁…

抵抗の東北史(連載第3回)

二 共存の時代 古墳時代後期頃に成立した南部の和人古墳勢力と北部のエミシ勢力は、おおむね衣川(北上川水系)を境界線として共存均衡していたものと考えられるが、両者の交渉関係については史料が乏しく、詳細は不明である。 一方、7世紀までに関東を支配…

私家版松平徳川実紀(連載第12回)

十二 徳川綱吉(1646年‐1709年) 徳川綱吉は、3代将軍家光の四男で、当初は分家して館林藩主となるが、異母兄の先代将軍家綱に実子がなかったため、家綱の死の直前に養子となり、後継指名を受けた。 綱吉は5代将軍に就任するや、まず先代の側近者…

抵抗の東北史(連載第2回)

一 先史東北の形成 東北地方の先史時代に関しては、主に宮城県を舞台とした在野の考古学研究家による旧石器遺跡捏造が2000年に発覚して以来、それまで当該研究家の「功績」に帰せられてきた前・中期旧石器時代の存在が白紙に戻ることとなった。この事件…

抵抗の東北史(連載第1回)

前言 2011年3月の東日本大震災で最も甚大な被害を蒙ったのが、東北地方であった。その際に被災民たちが示した不屈の忍耐強さは世界で日本人の精神性として賞賛されたが、この賛辞は実のところ、あまり正確とは言えなかった。震災の時に示されたのは、「…

私家版松平徳川実紀(連載第11回)

十一 徳川家綱(1641年‐1680年) 徳川家綱は3代将軍家光の側室との間に生まれた長男であったが、比較的遅く出来た子であったため、父死去を受けて将軍に就任した時は、まだ10歳であった。幼少の身で将軍位を継承できたのは、父の代までに幕府の権…