歴史の余白

内外の埋もれた歴史を再発見するブログ

〆関東通史―中心⇔辺境

関東通史―中心⇔辺境(跋)

十七 近現代の関東 関東の概念は、これまで概観してきた通史の中で、幾度か変遷している。中世には東北を含めた東日本全域を指したこともあるが、本連載で前提としてきたのは、江戸時代に確立された「関東」の概念である。 すなわち、それは江戸を防衛する箱…

関東通史―中心⇔辺境(15)

十六 幕末・維新の関東 周知のとおり、江戸幕藩体制は250年以上にわたり揺らぐことなく持続したが、19世紀半ばを過ぎると、にわかに終焉が近づいた。この「幕末」と呼ばれる体制最後の時期、関東は再び中心としての地位を失いかけたことがある。 幕府は…

関東通史―中心⇔辺境(14)

十五 「政東経西」の近世 今日、首都東京を中心とする関東は、日本の政治経済、そして人口の大半が集中する「一極集中」の緩和が永遠の宿題となるほど偏向した中心地となっているが、このような現象は近代以降、それも主として第二次世界大戦後のことにすぎ…

関東通史―中心⇔辺境(13)

十四 近世の関東② 史上初めて江戸を首都に定めた幕府が過去の二つの幕府と異なっていたのは、各地の大名を封建領主として安堵し、領内自治を保障しつつ、大名の布置を中央で人事異動的に統制する形で封建制と集権制とを使い分ける巧妙さにあった。 結果とし…

関東通史―中心⇔辺境(12)

十三 近世の関東① 関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康は、織豊両氏とは異なり、仮冒の疑い強い源氏系新田氏流世良田氏の出自を称したため、源氏長者の名義で征夷大将軍に就任し、間接的に鎌倉・室町幕府の継承者として、室町幕府滅亡以来およそ30年ぶりに幕府…

関東通史―中心⇔辺境(11)

十二 江戸開府まで 後北条氏が関東を支配した時代は、ほぼ織豊政権の時代に相当する。この時代の特徴は幕府が存在しなかったことである。織豊両氏ともに、室町幕府の滅亡以来、権威を失っていた征夷大将軍の地位をあえて求めず、軍事力を背景に実質的な最高…

関東通史―中心⇔辺境(10)

十一 後北条氏の関東支配 享徳の乱後の古河公方が支配する古河府は室町幕府から事実上独立した関東地方政権と化していくが、一方で内紛と分裂に見舞われた。特に第3代古河公方・足利高基とその弟の義明が対立し、義明が1517年に千葉の小弓〔おゆみ〕城…

関東通史―中心⇔辺境(9)

十 古河公方の「独立」 京都の室町幕府と鎌倉府が並立する「東西幕府」体制は、第4代鎌倉公方・足利持氏が幕府の権威を背景に鎌倉府をもしのぐ実力を備えるに至った関東管領・上杉氏及び室町幕府と対立・敗北し(永享の乱)、鎌倉府がいったん廃止されたこ…

関東通史―中心⇔辺境(8)

九 「東西幕府」の時代 執権北条氏に乗っ取られた鎌倉幕府体制は、承久の乱での勝利により一応全国支配を確立するが、元寇という空前の「有事」対応を機に、北条得宗の独裁が強まり、御家人層の不満が募っていく。 そうした機会をとらえ、閉塞していた朝廷勢…

関東通史―中心⇔辺境(7)

八 鎌倉幕府の成立 源平合戦を制した源頼朝が開いた鎌倉幕府の成立年は、筆者の学校時代には1192年とされ、「いいくにつくろう」という語呂合わせで記憶することが慣例となっていたものだが、近年はそれより早い1185年を成立年とする説が通説化しつ…

関東通史―中心⇔辺境(6)

七 源氏の台頭 後に関東で武家政権を開く源氏は本来、関西の河内に本拠を持った臣籍降下軍事貴族集団(河内源氏)であり、関東で勢力を持ったのは、むしろ平氏系の集団であった。その体制が変容する最初の契機となったのは、平将門の乱からおよそ100年後…

関東通史―中心⇔辺境(5)

六 関東武士団の形成 平安朝を揺るがせた平将門の乱が起きた10世紀前半から源氏が関東に武家政権を樹立する12世紀末までには、200年以上のギャップがある。しかし当然ながら、平安貴族制社会から突如武家支配が生まれたのではなく、この二世紀以上の…

関東通史―中心⇔辺境(4)

五 東国の自立化 律令体制下の関東は、駅伝制のような古代的交通手段の発達により、それ以前に比べれば中央の統制が及ぶようになった。平安時代に入ると、関東八国のうち、常陸国、上総国、上野国の三国は親王任国となり、親王が遙任ながら国司に任命される…

関東通史―中心⇔辺境(3)

四 東国支配の完成 7世紀までに、関東は国造制を通じて畿内王権の支配に組み込まれたとはいえ、交通・通信網が決定的に不備な時代、その支配はなお脆弱であった。 状況が変わるのは、7世紀半ばの大化の改新以降のことである。この政変をきっかけに畿内王権…

関東通史―中心⇔辺境(2)

三 「東国」の征服 日本書紀では景行天皇紀の日本武尊の東征物語として関東への畿内王権の勢力拡張の様子が説話的に描かれているが、史実としての関東征服は6世紀から本格化するものと見られる。最大の征服目標は北関東の毛野国であった。 おそらく6世紀半…

関東通史―中心⇔辺境(1)

二 辺境関東の諸王国 弥生時代以後の関東は、農耕後進地として、縄文時代に保っていた中心地としての地位を当初は大陸に近い北九州を先進地とする西日本に譲ることとなった。 通説によると、3世紀から4世紀にかけて、畿内に大型墳丘墓を特徴とする強力な王…

関東通史―中心⇔辺境(序)

一 先史関東の変遷 関東地方は、周知のとおり首都東京を中核とする現代日本の政治経済の中心地として定着しているが、歴史的には中心と辺境の地位を幾度となく交替した末に、現在の地位にたどりついている。こうした関東の中心⇔辺境の交替は、歴史時代に入る…