歴史の余白

内外の埋もれた歴史を再発見するブログ

〆外様小藩政治経済史

外様小藩政治経済史(連載最終回) 

五 森藩の場合 (4)幕末廃藩 幕末の森藩は、第10代藩主・久留島通明が病弱のため、異例にも叔父の通胤[みちたね]に譲位した嘉永五年(1852年)に始まる。通胤の藩主就任翌年にペリーの黒船来航があったが、その際、通胤は対応について(外様)諸藩…

外様小藩政治経済史(連載第20回)

五 森藩の場合 (3)社会動向 森藩は小藩ながら、関ケ原の戦いの後、西軍派としていったん浪人していた瀬戸内出身の藩主家が幕府から赦され、わずかな家臣を率いて地縁のない土地に授封されたうえ、地元土豪を家臣団に組み入れて立藩されたという経緯のわり…

外様小藩政治経済史(連載第19回)

五 森藩の場合 (2)経済情勢 立藩経緯でも見たように、森藩は元来瀬戸内海の水軍勢力であった来島(久留島)氏が陸に上がり、江戸幕府から縁のない豊後に狭隘な領地を安堵されたものであり、入部当時は草木が茂る深林とわずか十数軒の民家があるのみという…

外様小藩政治経済史(連載第18回)

五 森藩の場合 (1)立藩経緯 森藩は今日の大分県玖珠町を中心とする地域を領地とした小藩であり、藩主家は立藩から幕末まで一貫して来島氏が務めた。来島氏は元来、瀬戸内海の海賊勢力であった村上水軍の一角を担った来島村上氏が江戸開府後、近世大名化し…

外様小藩政治経済史(連載第17回)

四 福江藩の場合 (4)幕末廃藩 福江藩の幕末は、おおむね第10代藩主五島盛成[もりあきら]とその子である第11代盛徳[もりのり]の時代に相当する。 盛成は、父の前藩主盛繁が早期に隠居したため、文政12年(1829年)に家督を相続し、藩主とな…

外様小藩政治経済史(連載第16回)

四 福江藩の場合 (3)社会動向 福江藩は、小さな島の領主がそのまま近世大名成りして治めていた小藩であったわりに―むしろ、それゆえにと言うべきか―、藩の主軸産業である漁業の権益も絡み、騒動・騒乱が各時代ごとに勃発する傾向にあり、波乱の小藩であっ…

外様小藩政治経済史(連載第15回)

四 福江藩の場合 (2)経済情勢 福江藩が支配する五島列島は全般に山がちであり、農業適地とは言えず、稲作より畑作に傾斜していた反面、水産資源には恵まれており、藩の財政も水産に支えられていた。その点では、北海道の松前藩と同様、石高制による領地安…

外様小藩政治経済史(連載第14回)

四 福江藩の場合 (1)立藩経緯 福江藩は、五島列島全域を支配地とする[おそらく]唯一の離島藩である。藩主家は、鎌倉時代頃より一貫して五島列島の有力者であった五島氏が立藩から明治維新後の廃藩まで固定されたという点で、完全に土着固定型の藩であっ…

外様小藩政治経済史(連載第13回)

三 狭山藩の場合 (4)幕末廃藩 小藩の幕末はいずれもかなり苦しいものとなったが、狭山藩も例外ではなかった。ただ、狭山藩の最後の二人の藩主がそれなりに手腕を持った英君と呼んでもよい人物であったことは、狭山藩の幕末を比較的穏やかなものにしたと言…

外様小藩政治経済史(連載第12回)

三 狭山藩の場合 (3)社会動向 狭山藩は、戦国期に小田原を拠点に関東一円を広域支配し、豊臣氏に滅ぼされていなければ天下人となっていたかもしれなかった北条氏が、恭順を誓った徳川幕府の「名門」保存政策の恩恵を受け、縁のない畿内の河内地方に小大名…

外様小藩政治経済史(連載第11回)

三 狭山藩の場合 (2)経済情勢 狭山藩の本拠が置かれた河内狭山には、日本最古の灌漑用人口池とされる狭山池が所在している。その開削時期には諸説あるが、遺構の検証からは7世紀の飛鳥時代まで遡ることは確実と見られている。 元来、狭山地域は『日本書…

外様小藩政治経済史(連載第10回)

三 狭山藩の場合 (1)立藩経緯 狭山藩は、豊臣秀吉に討たれるまで関東地方の実質的な支配者であった後北条氏(以下では、単に北条氏という)の子孫によって河内に立藩された小藩である。西国出身ながら関東地方を長く拠点としていた戦国大名北条氏が関西に…

外様小藩政治経済史(連載第9回)

二 谷田部藩の場合 (4)幕末廃藩 谷田部藩は経済財政面では恒常的な困難に直面しながらも、政治的には大きな家中騒動もなく、幕末まで世系をつないでいくが、実際のところ、5代藩主興虎は京都の公家姉小路家から婿養子に入りながら廃嫡された興誠の子であ…

外様小藩政治経済史(連載第8回)

二 谷田部藩の場合 (3)社会動向 谷田部藩は、細川氏の分家が入部して築いた経緯から、地元民にとって領主は外来者であった。その点、中世以来の在地領主で立藩にも地元農民が深く関わった苗木藩のような小藩とは根本的に異なっていた。 藩主家も「名門」…

外様小藩政治経済史(連載第7回)

二 谷田部藩の場合(2)経済情勢 小藩の領地は当然ながら狭隘なため、一様に財政的に苦境になるが、谷田部藩の場合は格別であった。前回も見たように、谷田部藩領は陣屋の置かれた常陸側の谷田部と下野側の茂木とに分かれていたところ、言わば「藩都」の谷…

外様小藩政治経済史(連載第6回)

二 谷田部藩の場合(1)立藩経緯 谷田部藩は、初代藩主細川興元が初め徳川秀忠から下野国芳賀郡茂木に1万石を安堵された後、常陸国筑波・河内両郡に6000石余りを加増され、拠点を常陸に移したことで成立した。興元は後に熊本藩主家となる肥後細川氏初…

外様小藩政治経済史(連載第5回)

一 苗木藩の場合 (4)幕末廃藩 幕末動乱は苗木藩のような最小藩にも押し寄せてきた。特に最後の藩主となった12代遠山友禄は二度にわたり若年寄を務めるなど、譜代格として歴代藩主中最も幕府で重用された。幕末動乱の中で、外様小藩主にも出世の道が拓か…

外様小藩政治経済史(連載第4回)

一 苗木藩の場合(3)社会動向 小藩を絵に描いたような苗木藩が終始財政難に苦しみながらも明治維新まで存続していった秘訣として、廃藩期を除けば、藩内社会の安定性が保たれていたことが挙げられる。封建統治の安定性の鍵は、農民が大多数を占める領民と…

外様小藩政治経済史(連載第3回)

一 苗木藩の場合(2)経済情勢 苗木藩が領した苗木は、遠山一族が代々領地としてきた恵那郡の一部にすぎない狭隘な地であった。恵那郡自体は美濃国で最大面積を擁する広大な領域であるが、江戸時代には幕府領のほか、旧領回復した同族明知遠山氏の旗本領が…

外様小藩政治経済史(連載第2回)

一 苗木藩の場合(1)立藩経緯 苗木藩は、初代藩主遠山友政が徳川家康から現在の中津川市苗木を所領として安堵されることによって成立した。遠山友政が出自した苗木遠山氏は、平安時代前期の貴族武将藤原利仁を遠祖と伝える美濃遠山氏の分家である苗木遠山…

外様小藩社会経済史(連載第1回)

序説 徳川幕藩体制は、中世以来の武家支配に基づく日本型封建制を土台としながらも、自身も封建領主の一人であった徳川氏を頂点とする幕府が全国の領主を臣従させつつ、一方的な移封や収公(改易)の権限を含む中央からの強い統制力をもって封土を政策的に配…