歴史の余白

内外の埋もれた歴史を再発見するブログ

2017-02-01から1ヶ月間の記事一覧

私家版朝鮮国王列伝[増補版](連載第6回)

五 文宗・李珦(1414年‐1452年)/端宗・李弘暐(1441年‐1457年) 世襲を基本とする君主制では、名君の長期治世の後に混乱が起きることは古今東西よくあることだが、世宗大王没後の李朝もその例外ではなかった。 世宗は晩年健康を害していた…

仏教と政治―史的総覧(連載第28回)

九 モンゴルの崇仏諸王朝 清朝支配下モンゴルと仏教 モンゴル本国に当たるモンゴル帝国はオイラト帝国に先立って17世紀前半には衰微した。1603年に即位したリンダン・ハーンは帝国再建を目指して精力的に動いたが、その強権支配が諸部族から反発を招く…

高家旗本吉良氏略伝(連載最終回)

八 吉良義央(続)/義周(1686年‐1706年) 赤穂事件がなければ、吉良家は存続したであろうが、義央はもちろん、吉良家自体も特段話題に上ることもない高家として終わっていたに違いない。赤穂事件は吉良義央を図らずも歴史上の著名人にするとともに…

私家版琉球国王列伝(連載第9回)

十 尚豊王(1590年‐1640年)/尚賢王(1625年‐1647年)/尚質王(1629年‐1668年) 薩摩による侵攻・征服当時の尚寧王は世子を残さず、1620年に苦難の治世を終えて没した翌年、王統は再び本家筋に戻り、5代尚元王の孫に当たる尚…

高家旗本吉良氏略伝(連載第8回)

七 吉良義央(1641年‐1703年) 吉良義央〔よしひさ〕は、先代義冬の嫡男にして高家旗本吉良氏三代目、そして有名な赤穂浪士事件で討たれた当人である。彼が家督を継いだ時、高家吉良氏は祖父と父の功績により全盛期にあった。義央自身も見習いの頃か…

弥助とガンニバル(連載最終回)

九 エピローグ :アフリカ奴隷貿易のその後 弥助とガンニバルは、奴隷貿易システムが生み出した東方のアフリカ黒人武人であり、その後、両者の再来と言えるような例は記録されていない。その意味では、奴隷貿易システムの国際的な広がりを象徴する特異な事例…

私家版朝鮮国王列伝[増補版](連載第5回)

四 世宗・李祹(1397年‐1450年) 前回太宗の項でも触れたように、世宗は先代太宗の三男であったが、世子だった兄が素行不良のため廃嫡されたことにより、入れ替わりで世子となり、太宗から生前譲位を受けて1418年、4代国王に即位した。 世宗は…

高家旗本吉良氏略伝(連載第7回)

六 吉良義弥(1586年‐1643年)/義冬(1607年‐1668年) 徳川家康の縁戚として近世吉良氏の祖となった吉良義定は関ヶ原の戦いの時はまだ30代であったが、自身は従軍せず、代わりに嫡男義弥〔よしみつ〕が従軍している。義弥は12歳の時、…

仏教と政治―史的総覧(連載第27回)

九 モンゴルの崇仏諸王朝 オイラト王朝とチベット仏教 元朝撤退後のモンゴルにあって、最も熱心なチベット仏教徒となったのはモンゴル族の亜族とも言えるオイラト族だった。かれらはモンゴル西部を本拠地とし、元はテュルク系とも言われるが、チンギス・ハー…