2012-03-01から1ヶ月間の記事一覧
第三章 4世紀の倭 (3)畿内加耶系王権 王権の成立 西日本各地に拡散していった加耶系渡来勢力の中でも、畿内に定住したものがやがて王権を樹立し、この畿内加耶系王権が最も有力化した。 この王権の成立時期は、ニニギに象徴化される渡来第一世代から最低…
第三章 4世紀の倭 (2)加耶人の世紀 加耶人の集団渡来 前回見た邪馬台国の解体は、朝鮮半島からの相当な規模の渡来の波が発生するチャンスとなった。その渡来の中心となったと考えられるのが、再三述べてきた加耶地方からの移民集団である。 先述したよう…
第三章 4世紀の倭 4世紀の倭の情報は中国の史書から消え、「謎の4世紀」とも言われる。しかし、朝鮮史料の『三国史記』や『広開土王陵碑文』などから、この時期の倭が朝鮮三国と活発な外交的・軍事的駆け引きを繰り広げる様子が窺える。この「倭」は果た…
第二章 「神武東征」の新解釈 (5)「神武天皇」の分割 東征勢力の首領 ここで、「神武天皇」とは何者であるのかという初めの問いに戻ってみよう。 『記紀』は「神武天皇」を東征からヤマト征服、王朝樹立までの一連のプロセスの主人公として統一し、英雄物…
第二章 「神武東征」の新解釈 (4)二系統の天孫族 「神武東征」の経路 神武軍団の出発地点について、正史・通説の「宮崎日向説」に立つと、かれらは宮崎の日向を出てまず九州東岸を舟で北上し、宇佐を経て筑紫国の岡水門[おかのみなと](遠賀川河口付近…
第二章 「神武東征」の新解釈 (3)天孫族の渡来 渡来の時期 前回見たように、天孫降臨神話に形象化された加耶系集団の渡来時期はいつごろのことなのであろうか。この問いに正確な解答を出すのは難しい。 一つのかすかな手がかりは、金官加耶国開祖・金首露…