歴史の余白

内外の埋もれた歴史を再発見するブログ

2024-01-01から1年間の記事一覧

私家版アイヌ烈士列伝(連載第5回)

五 ハウカセ(生没年不詳) シャクシャインと同時代、シャクシャインとは全く異なるタイプの烈士がいた。石狩川流域を本拠地とし、その勢力圏が南はオタルナイ(小樽)、北はマシケ(増毛)方面にも及んだと言われる惣乙名ハウカセである。和人から「石狩の…

パレスティナ十字軍王国史話(連載第3回)

二 女王メリザンド パレスティナ十字軍王国は「王国」とはいえ、実態はフランス貴族の在外領地に近いものであったため、王権の継続性の担保が弱く、たびたび王統が変わっている。男性権力も脆弱であり、しばしば実権を持つ共治女王を輩出した。その最初の例…

弾左衛門矢野氏列記(連載第5回)

五 矢野弾左衛門集村(1698年‐1758年) 4代目弾左衛門集久が死去した後、公式には孫の集村(幼名・浅之介)がわずか12歳で襲名したことになっているが、浅之介には父・吉次郎がいた。吉次郎は正式の襲名前に死亡したものと見られているが、死亡年…

松平徳川女人列伝(連載第12回)

十八 広大院(1773年‐1844年) 8代将軍徳川吉宗の享保の改革は大奥にも及び、その職員数の削減はもとより、妻妾の数や大奥の隠然たる政治的影響力もそがれることになった。そのため、吉宗からその子・家重、孫の家治に至る三代の妻妾からは特筆すべ…

ロマニ流浪史(連載第4回)

三 ビザンツ帝国のロマニ ロマニと見られる集団が欧州地域で最初に確認されたのは、ビザンツ帝国である。ビザンツは西アジアと欧州をつなぐ位置にあり、欧州への入り口であったから、ペルシャやアナトリアを経由して西へ移動していったロマニが最初に現れる…

弾左衛門矢野氏列記(連載第4回)

四 矢野弾左衛門集久(?~1709年) 4代目弾左衛門集久は幼名を介次郎といい、祖父や父と同様に次男のようである。4代目集久は、曾祖父に当たる初代から三代にわたる時代に整備された弾左衛門制度の基礎の上に、歴代最長の40年間在職し、後述のよう…

もう一つの中国史(連載第14回)

五 遊牧民族の時代Ⅰ (2)北魏の覇権 鮮卑慕容部に続いて勢力を伸張させてきたのは、同じ鮮卑系部族の拓跋部である。拓跋部は内モンゴルのフフホトを根拠地とする部族集団であったが、4世紀初頭に西晋を助けて匈奴系の前趙と交戦した功績で華北に領土を安…

インドのギリシャ人(連載第4回)

Ⅲ メナンドロス王の登位と全盛 アポロドトス1世がインドにおけるギリシャ人王朝をいちおう樹立しても、そのまま子孫が王位を継承していく安定的な王権を確立することはできなかった。インドのギリシャ人はよそ者ということもあったが、それ以上に、当地のギ…

弾左衛門矢野氏列記(連載第3回)

二 矢野弾左衛門集季(?~1640年) 弾左衛門を先代から襲名した最初の世代となる2代目弾左衛門は幼名を小次郎といい、次男と見られる。その点、初代には関ヶ原の戦い当時15歳の小太郎という長男と見られる一子があって、天然痘に感染したが、白山神…

クルド人の軌跡(連載第6回)

二 クルド人の全盛 アイユーブ朝の短い天下 サラーフッディーンが創始したアイユーブ朝は、彼の死後もエジプトを基盤に版図を拡大し、シリア、パレスティナ、イエメン西部にもまたがる超域的な領域国家に成長した。これはクルド人が世界史の中で主役を演じた…

パレスティナ十字軍王国史話(連載第2回)

一 十字軍四人衆 1095年に時のローマ教皇ウルバヌス2世の呼びかけにより、キリスト教の聖地エルサレムをイスラーム勢力から奪回することを目指して開始された第一回十字軍運動は宗教的熱狂に駆られた集団的運動であり、特定の際立ったヒーローを輩出す…